先日の福岡・博多高校で授業中に生徒が教師を暴行したという衝撃的な事例を巡って、ネットでは今なお様々な意見が錯綜しているようです。
   その中に「教師は叩かれっぱなしではなく、刑法でいうところの正当防衛権を行使して、“教師の威厳”を示すべきだ」という意見を目にしました。

   確かに「正当防衛」という権利は存在します。一般社会であれば、その権利は当然行使すべきものですが、しかし、こと学校という世界に限っては、私はその考え方は馴染まないような気がするのです。それは“教師”と“生徒”という関係性にあります。
   生徒にとって、教師は様々な事を教えてくれる立場にいる人間です。その教師が、正当防衛として加害生徒に殴り返したら、たとえ正当な行為であっても、殴り返された生徒は更に反撃してくるでしょうし、それに対して教師も反撃し生徒がまた殴り返してくる…。
   問題は、その生徒と教師の殴り合いを学級の子ども達が見ているという事です。まともな感覚を持った子供にとっては正に“地獄絵図”となるでしょう。発達段階や感覚過敏の程度によっては、教師に対して恐怖心を抱き、登校に抵抗感を覚えるようになる事も多分にあります。逆に、動画に出てきた生徒達のように感覚が正常ではない子供にとっては、教師はその生徒と同レベルに映り、「いいぞ!やれやれ〜!先生負けんなよ!」と、ただの見世物になるでしょう。そうなってくると、逆に“教師の威厳”というものはどこかに吹き飛んで無くなってしまうのではないでしょうか?

   私は、動画に出てきた教師は、立派に“教師の威厳”を示したと思います。ただただ殴られながらいる様子から、「教師たるもの下劣な暴力で相手を服従させるべきではない」「人間は暴力で関わりあう生き物ではないのだという教育者としての強い意志を感じました。ネットでも「絶対に殴り返さなかった先生はかっこよかった」と評価する反応も多く見られました。
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   そして、最後に“言葉”と“教師の迫力”によって生徒の暴力を一蹴したのです。大人が本当に怒った時の迫力は子供達の比ではありません。それが、教師となれば尚更です。普段は温厚な教師本気で怒った時の迫力には下手な暴力以上の力が全身からみなぎるからです(普段から怒ってばかりいる教師にはできませんが…)。
   私事で恐縮ですが、実際に、私は中学二年生の時に、そういう先生に出会ったことがあります。普段とても温厚だったおじいちゃん先生が、授業中の私語の多さに対して本気で怒鳴ったのです。あの一括で、教室の私語は一切無くなりました。あの時の先生の表情と迫力は今でも忘れることはできません。あれこそが教師の怖さ、言葉を変えれば「教師の威厳」というものだと思います。