このことの大切さについては、岡田氏は「感受性、または共感性」、八尾氏は「子どもの話すことには気持ちの流れを理解するように耳を傾けること。そして理解できたことを言葉にして返す」と述べています。
   さて、先にお話しした通り、岡田氏は「マインド・マインディドネス心に関心を向ける)」として、言葉で表現できない赤ちゃんの言動に対して、その気持ちに関心を向けることの大切さを指摘しています。(岡田2012)赤ちゃんは、正式な言葉としては伝えられなくても、一生懸命、声や身振りなどでお母さんに自分の気持ちを分かってもらおうと必死です。それはその子なりの言葉なのです。岡田氏は、その「言葉」に耳を傾け、「うん、うん、そうか、うんちしちゃったのね。かわいそうに気持ち悪かったでしょう」と共感することが大切なのだということを述べているのだと思います。
   幼児期になって言葉を発することができるようになってからは、子どもの話はできるだけうなずきながら聞いてあげましょう。これはもちろんお母さんに限ったことではなく、お父さんも同様です。家族で夕食を過ごすときに、一人ずつその日あった出来事を話すという習慣をつくってはどうでしょう。思春期に近づいてから急にやると、ほとんど話さないと思いますが、幼児期から始めると子どもはたくさん話してくれるはずです。そして、その話を「うん、うん」とうなずきながら聞いてあげると、親子の絆はますます深まります。そのことが習慣化すれば、思春期が近くなっても当たり前のように話してくれるかもしれません。 
   特に大切なことは、たとえ子どもに“非”がある話でも、叱らずに「よく話してくれたね。」と受け止めて、「そんな時どうしていればよかったかな。」と望ましいソーシャルスキルを考えさせたり教えたりすることです。この時に叱ってしまうと、子どもは自分の“を隠すようになり、いいことしか話さなくなったり、自分からは全く会話をしなくなったりします。更に、叱ると、親自身の“怒りの感情も手伝って注意する事だけに終始してしまい、肝心の「次はどうすればいいのか?」という事まで話が及ばない場合が多いのです。
   ある講演会で、「学校でのいじめやSNSがらみの問題が起きたときに、子どもが親に相談できる環境を作っておくことが大切です」ということを聞きました。例えば、出会い系サイトに入ってネット上で見ず知らずの人と交流しているうちに、相手からお金を恐喝されたとか、家出をしてみないか等と強く要求された時などに、ほとんどの子どもたちは「親に相談しても怒られるだけだから」「どうせ言っても聞いてくれないから」と、親には相談しないのだそうです。結果的に友達に相談するしかなくなるわけですが、それでは、ベストの対応策をとることができず、より問題が深刻化してしまい、場合によっては、命を落とすという最悪の事態に陥ってしまうこともある、今はそんな世の中です。そんな時代だからこそ、日頃から子どもの話をうなずきながら聞いてあげて親子の心の絆を強くしておく必要があるのです。
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   そのことの大切さを痛切に訴える結果になった事件が2015年の十二月に起こってしまいました。広島の当時中学三年生の男子生徒が、誤った資料を基に行われた進路指導がきっかけとなり、自ら命を絶った事件です。担任から「あなたは中一の時に万引きをしていますね。」と一方的に言われた生徒は、「あ、はい。」とあいまいな返事をするだけで、教師に反論はしませんでした。それは「どうせ言っても、先生は聞いてくれないから」という諦めからでした。おそらくその教師は、普段から、生徒に対して決めつけた言い方をしたり、生徒の話に耳を傾けなかったりしていたのでしょう。生徒の話や思いに共感する姿勢が欠如していると、このように生徒からの信頼を失ってしまうのです。いかに日常の接し方が大切かということを思い知らされました。
   また、「この子どもは隠して嘘を言っている」という思い込みで、子どもの話もろくに聞かず、「あなたがやりましたね。」と脅迫めいた言い方で子どもに言いよるのも厳禁です。このレベルになると、生徒からの信頼どころか、人権問題に発展する場合があります。事実の確認は公平な目で正確に行う必要があります。子供の話をよく聞き事実を客観的に把握した後に、②それに応じた指導や注意をすればいいのです。