まず、「見る」ということについてです。
 このことの大切さについては、平山氏が「見つめる」、岡田氏は「アイコンタクト」、ヘネシー氏は「目を合わせる」、八尾氏は「視線を合わせる」、とそれぞれがこの重要性を指摘しています。
   さて、愛着関係が安定している乳児は、環境に興味を示し、探求しようとします。怖くなると「安全基地」である親のところへ帰ってきて、“安心感”をもらい、また探求しようとします。これが学習の第一歩です。『危ないからダメ』と引き戻したりせず『見ててあげるから大丈夫よ』と“安心”させ励ましてあげてください。子どもの立場からすると、見ていてもらう」という子供に“安心感”をもたらす行為は、自分が万が一事故に逢いそうになった時に直ぐに親から手を差し伸べてもらえる状況にあるので、自分が探究活動を行う中で、いざという時に避難する安全基地」の最大の機能なのでしょう。
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   また、これまでも紹介してきたように、愛着の形成は、赤ん坊が「この人は、自分が困った時に必ず助けてくれる絶対の味方」と信頼できるかどうかにかかっています。先ほど、愛着不全の修復過程についてのお話のところで、「自分のことをもっと見て欲しいと思い、母親の関心が十分に自分に向けられていないことに腹を立てるのです。」と述べました。まさにこの「自分のことをもっと見て欲しい」「自分に関心を向けて欲しい」という子どもの気持ちに応えるためにどうしても必要不可欠な支援がこの「子どもをきちんと見る」ということなのです。つまり、見る」ということは、子どもに「関心を向ける」と同じ意味であり、目は“関心”の発射口なのです。発射口が“子供”という目標物を向いていなければ“関心”という愛のミサイルを何発発射しても永遠に当たる事はありません。
   先に「愛着の選択性初めは、ある“特定の人”としか「愛着(心の絆)」をつくることができない」という話をしましたが、例えば、赤ちゃんが生まれると、家族のみんなが関心をもって赤ちゃんを見ます。でも、その中でもやはりお母さんが一番赤ちゃんを見てあげるから、「この人が一番自分に“関心”を向けてくれる人だ。」と思うようになり、赤ちゃんにとっての「特定の人」となれるのだと思います。そう、母親はこの「特定の人」になるために、誰よりもたくさん赤ちゃんを見なければならないのです。その一方で、先に、「新生児は寝ている間でも『ふっ』と笑うことがあります。これがお母さんの笑顔を引き出し、出産後に起こりやすいマタニティーブルー(うつ病)を予防するといわれています。」とお話ししました。この「ふっ」と笑う赤ちゃんの表情にお母さんが気付くためには、それだけ赤ちゃんのことを見ていないと気付くことはできません。子どもの様子を「見る」という行為は、お母さんのためにも必要な行為なのですね。
 また、視線を合わせる時も、立ったまま高い位置から見下ろす場合と、かがんだり膝立をしたりして、できるだけ近くで視線を合わせる場合とでは、大きな違いがあります。赤ちゃんは、まだ視覚的な情報収集能力が発達していませんから、できるだけ近くから視線を合わせることが大切です。
   また、今はベビーカーで赤ちゃんを連れて歩いている方が増えました。ベビーカーには、赤ちゃんが進行方向を向くタイプと、お母さんの方を向くタイプとがあるようですが、「見る」ということを考えるとお母さんの方を向くタイプの方がいいです。抱っこひもも赤ちゃんを背中に背負うタイプより、お母さんと視線を合わせることのできるタイプの方がいいです。
 さらに、今の若いお母さん方はスマートフォンを操作する機会がとても多いようです。操作している間は当然スマフォの画面を見なければなりません。赤ちゃんからすれば、たとえお母さんが近くにいても、スマホの画面を見ていて自分の方を見てくれていなければ、「お母さんが自分に関心を持ってくれている」という気持ちにはなれないでしょう。
   また、子どもが小学校に入学するくらいになると、父親はテレビ母親はスマフォ子どもはゲーム機、というように互いが目を合わせない家族の様子が見られることがあります。それぞれが勝手なことをして、わずかな会話も上の空、という状態が長く続くと、仮に、乳児期に愛着を形成した子どもでも、次第に「回避型」の子どもに変化する場合もありますから注意が必要です。「愛着」は、「障害」と違い生まれてからの環境によって形成される後天性のものなので、環境が変われば一旦形成されたはずの「愛着」も消滅することもあるのです。