この度は、長いお休みを頂きありがとうございました。ようやくプレゼン資料作成のめどが立つまでになりました。以後、8月2日の講義の日までは、可能な時に更新するようになると思います。どうぞ宜しくお願い致します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【今回の記事】

【記事の概要】
所沢市立山口小学校の40代の男性教師は今月12日、鉛筆削りの貸し借りを巡って言い争っていた小学4年の男子児童に、「今すぐ窓から飛び降りろ」「命が惜しいのか。早く飛び降りろ」などと3階の教室から飛び降りるよう何度も迫ったという。また、男性教師はさらに「このクラスは34人だったがあすからは33人でやっていこう」などと話したほか、以前、この男子児童の背中を蹴るなどの暴行をしていたという。
 男子児童の母親「腰が痛い背中が痛いって言ってた時期があって」「背中を蹴られたりとか、首をやられたり絞められたりとか」
 男性教師「『窓から飛び降りろ』と死につながることを話しました
 校長「指導に値しない暴言であり、体罰である

児童に対する暴言や体罰があったことを認め、謝罪した埼玉・所沢市の小学校。小学校によると、7月12日40代の男性教師が、6時間目が終わってから帰りの会までの間に、教室内で小学4年の男子児童を立たせ、暴言を吐いたという。
   小学校によると、男子児童は、男性教師から「学校に来るな」と言われたため、翌日から学校を休み同じクラスの女子児童1人も「担任の先生が怖い」と、学校を休んでいるという。
   男性教師は2017年4月下旬にも、この男子児童が掃除の時間に、他の子どもたちと遊んでいたため、髪の毛を引っ張り、背中をけり、男子児童に軽傷を負わせたことについても、学校側は認めた。

【感想】
「今すぐ窓から飛び降りろ」
「命が惜しいのか。早く飛び降りろ」
目を疑うような小学校教師によるこの暴言。
   事の発端は「鉛筆削りの貸し借りを巡って言い争っていた」ことのようである。この中で不思議なのは、“言い争っていた”という事は、飛び降りを迫られた男子児童の他にもう一人相手がいたという事である。通常なら、児童2人で揉め事があったなら双方から言い分を聞くものである。それなのになぜこの児童だけに「飛び降りろ」と言ったのだろうか?更にこの男性教師は、4月下旬にも、この男子児童が掃除の時間に、ほかの子どもたちと遊んでいたところ、この男子児童に対してのみ髪の毛を引っ張り、背中をけり、男子児童に軽傷を負わせたそうである。そもそも、たかが鉛筆削りの貸し借りを巡っての言い争いであるのに、なぜ死につながるような暴言を吐いたのだろうか? 
   一部の報道では、この児童は普段から男性教師の言うことを聞かない子供だったとも言われている。おそらくこの担任にとっては、この男子児童はかなり印象の悪い子供だったと思われるそのため、この男子児童に対して今回のようなあり得ない暴言を浴びせたのではないだろうか?

   この男性教師が子供に言うことを聞かせようとする時、おそらく力による言動によって接していたと思われる。それに対して、中学生ならいざ知らず、まだ小学4年生なら恐怖で従う子供が多いはずである。しかし、この男子児童はそれでも担任の言うことを聞かなかった
   このように、力で支配しようとする教師の言うことを、教師からの怒りを買うほど頑なに反発する児童がいた場合、私なら「発達障害を疑う。なぜなら、発達障害の子どもは、力による指導に対して“言うことを聞かない”のではなく、障害特性上“過度な拒否反応を示してしまうのであり、それを自分ではコントロールできないからである。特に感覚過敏の特性を持つ自閉症スペクトラムの傾向の強い子どもならば尚更である。おそらくこの男性教師は、発達障害を疑うこと無く、この“過度な拒否反応”を“教師への意図的な反抗”と受け止めていたのではないだろうか。
{557EAE01-1DBC-453D-9763-9966E15DDD48}

   文科省の調査では、通常学級にも6.5%ほどの割合で発達障害の児童がいることが報告されている。この所沢市立山口小学校の4年生は学校HPによると1クラス30人程度のようである。30人学級なら発達障害の児童は2人近くいる計算になる。全校児童数から考えると発達障害の子供は全校で40人以上もいる計算になる。この男性教師の力による指導に対してどうしても言うことを聞かなかったこの児童がその中の1人である事はかなり高い確率で考えられる。
   
   しかし残念ながら今の学校現場では、発達障害の診断が下りていない子供である場合には、「6.5%」の可能性を疑わう事なく、即“健常児”という受け止め方をし、“健常児向け力による指導”を行うことが多いそうなれば、診断が下りていない発達障害の児童はその教師に対して当然強い拒否反応を示すことになってしまう。

   これまでのように考えてくると、今回の事例は、発達障害に対する理解不足や配慮不足が未だに存在する学校現場が起こしたものと言っても過言ではないかも知れない。