以前私は次の記事を投稿していました。
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   この記事は、「女の子がまとわりついてきて、腹が立った」という理由で2階から5歳の女の子を投げ落とした特別支援学級に通う自閉症スペクトラム(ASD)の男子生徒が起こした事例を紹介したものです。この記事の中で私は、「男子生徒にまとわりついたこの5歳の女の子の行動にも問題がある」という旨を述べました。更に、「おそらくこの女の子は、他の場面でも同じように面識のない年上の人に同じような行動をとる“”があったのではないでしょうか?」とも述べました。
   つまり、この時点では、面識のない年上の人にまとわりつくこの女の子の行動を単に“”と表現していました。
   しかし実は、愛着障害の子供の特徴の中に「見ず知らずの人に愛嬌を振りまきまとわりつく」というものがありました。このことは、自分自身が過去に投稿していた「愛着の話」の「No.38〜『我が子は愛着障害ではない』という誤解②〜」の中の「人間関係」に関わる特徴として取り上げています。
   しかし、仮にその女の子の行動が愛着障害によるものだったとしても、精神科医の岡田氏によれば「愛着障害は約3割に上る」とのことですから、そんなに珍しいことではありません。大切なことは、その女の子がなぜ“見ず知らずの人に愛嬌を振りまきまとわりつく”ようになったのか?ということです。単に「それは親との愛着を形成していなかったからである」ということだけで片付けず、その背景にまで考えを及ぼすことは、愛着障害に対する理解を深めることになると考えます。

   臨床ソーシャルワーカーのヘネシー澄子氏は自身の著書(ヘネシー2004)の中で次のように述べています。
乳児期に親の適切な対応に満足感を覚えた子は親を信頼することを学びます。その信頼感から、親と共感しよう、親の言うことを聞こうという行動が生まれ、知らない他人は自然に警戒するようになります。ところが、愛着障がい児は、親への信頼が育っていないため、親の愛情支配ととって抵抗しますが、自分にあまり関係のない人や赤の他人には自分流に愛嬌振りまきます。」
   また、岡田氏は次のように述べています。
「狭い意味での愛着障害は、特定の愛着対象に対する選択的な愛着形成が損なわれた状態である。つまり誰にも全く愛着を感じないか、逆に誰に対しても親しげに振る舞うかということである。(中略)誰にでも愛着するというのは特定の愛着対象を持たないと言う点で、誰にも愛着しないのと同じであり、実際、対人関係が移ろいやすいといった問題を呈しやすい。(岡田2011)」
つまり、乳児期に親という特定の人間(「愛着の選択性」)と愛着形成ができた子供は、親を信頼できる「安全基地」として見なし、初めて会う人に対しては警戒し、親という「安全基地」に避難します。これがいわゆる特定の人以外の人間に対して警戒感を示す“人見知り”です。つまり、“人見知り”は適切に愛着形成ができている証なのです。
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しかし、愛着を形成していない子供は親という特定の人間との愛着(愛の絆)、すなわち信頼関係ができていないため、信頼できる人とそうでない人との区別ができないために初対面の人間に対して“人見知り”ができず、警戒感を持たずに近づくようになるのです。

   つまりこの女の子は、乳幼児期に親からの愛情が不足したために、“誰にでも愛嬌を振りまきつきまとう”という反社会行動を身に付けてしまったと考えられます。そして、たまたま、人から触れるのを極端に嫌う触覚過敏の特性を持つASDの男子生徒に出会い危害を加えられてしまった、ある意味で大人の不十分な養育の“犠牲者”と言えるかも知れません。