以前は金曜日だった障害児対象の放課後学童保育施設(放課後デイサービス)のアドバイザーの仕事。この頃は木曜日にお邪魔する事が多くなって来ました。これからも曜日変更があるかもしれません。今後一度もブログの更新が無かった日は、「遠藤は今日はアドバイザーの仕事の日だったんだな」と思って頂ければ幸いです。😅(オマケの昨日は風邪にやられて静養していました。)

   さて、一昨日お邪魔した学童保育。昨日は初めて、特別支援学校に通っている1年生の男の子のお迎えに同行しました。精神的に不安定な時だと頭を大きく振る行動が出て、頭を何処かにぶつけてしまいそうで、運転手以外の同行者が必要なのです。
   終業後、その子を乗せて車は出発しました。外の景色を見るのが好きだという事で、車窓から外の様子をジッと見ています。しかし、その子は時々いきなり振り返っては私の顔を見ました
   施設に着くと、その子は遊び部屋でいつものように女性スタッフさんと遊び始めました(幼い子にとっては、やはり女性の持つ“受容”という“母性”の働きに惹かれるのだなと感じていました)。私はその子の様子を壁際に座りながら見ていました。
   ところがこの日は、何度も私のところにやって来ては私の両脚の間に座り込み私にくっついて鼻歌を歌っていました。一度立ち上がって歩き始めたかと思うと、室内を一周してまた私のところに来て座ります。それを見ていた女性スタッフさんが「お気に入りの場所見つけたね」と声をかけてくださいました。
   それまでも、その子から私に抱きついて来たことはあったのですが、すぐに離れて女性スタッフさんのところにいく事が殆どでした。それなのに何故この日は、急に私を“基本基地”にし始めたのでしょうか?

   実は、私はお迎えの車内で密かに「セロトニン5」の支援をしていました。私は、車窓からジッと外の様子を見ているその子の様子を「セロトニン5」の支援の通り①その子を見ながら微笑んでいました。すると、その子は先ほどお話しした通り、外を見ていたかと思うと、急にこちらを振り返ります。振り返るとそこにあるのは私の視線微笑みです。その子はいつこちらを振り返るか分からないので、私の視線と微笑みは途切れる事なく続きます。つまり、その子は自分が振り返るたびに私の視線微笑みに出会っていたのです。
「セロトニン5(6)」の支援は、子供の脳に安心・安定をもたらすセロトニンホルモンを分泌させる為の支援方法です。おそらく、その子は私を振り返る程に、私に対して安心感を増していったのではないかと思います。その結果、「この人は安心できる人」という印象が出来上がったのかもしれません。

   私は以前に次のような記事を投稿していました。
この記事の中では、およそ次のような内容をお話ししました。
なぜリビングには安心感があるのでしょう?親がリビングで勉強している子どもに対して「愛着7」の支援の中の「子供を見て微笑む」支援を施すと、子供は親との愛着(愛の絆)を感じることが出来ます。その事によって子どもは親からの安心感に包まれて落ち着いて学習する事が出来るのです。
この場合は親と子の関係なので、行われる支援は親子の「愛着(愛の絆)」を作る事を目的とする「愛着7」になりますが、用いている技法は先の子供の事例と同じ「視線」と「微笑み」です。
   母親が料理等何らかの仕事をしている場合は、当然子供への「視線」は使えません。しかし、チラッと母親の方に視線を送った時そこに母親の「微笑み」があったとするならば、子供はやはり母親との愛着(愛の絆)を感じる事でしょう。仮に母親が子供の視線を感じた時があれば、母親の「視線」も子どもに向けてニコッと「微笑んで」あげればそれで十分です。
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   子供の勉強を見てあげる時も同様です。傍に居ながら子供が勉強している様子を「見て」「微笑んで」あげていると、子供はそれだけで親との「愛着(愛の絆)」を感じて安心して勉強に取り組むことができるのです。
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   ちなみに、「見て」「微笑む」のはいわゆる「見守り」行為になります。反対に「見て」「しかめ面」をするのは「監視」になり、子どもは拒否反応を起こします。「微笑み」というたった1つの要素の違いであっても、その要素が持つ意味は大きいのです。