(前回の続き)
   また、1997年には神戸連続児童殺傷事件(下記【解説】参照)が起きました。事件を起こしたのは、当時十四歳の中学生で、自称「酒鬼薔薇聖斗」、当時ニュースでは「少年A」と報じられていました。
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   少年Aは、会社員の父と専業主婦の母との間の長男として、待ち望まれて生まれてきた。つまり、先の宮崎勤と同じく、ごく普通の家庭に生まれ、かつ、その誕生を待ち望んでいた子ども好きの両親を親に持っていた、なんら、不足のない環境の中で育ったのです。
   しかし、母親は生まれた当初は母乳で育てていましたが、生後十か月で離乳を強行したそうです。また、裁判所の判決文によると、「具体的なことは分からないが、一歳までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがある」とされています。
   更に、母親は、少年が幼稚園に行って恥をかくことのないようにと、団体生活で必要な生活習慣や能力をきちんと身につけさせようと、排尿、排便、食事、着替え、玩具の後片付け等を早め早めに厳しくしつけました。
   子育ては、母親が中心になり、少年に対しては厳しく叱責を続けました。少年が口で何度注意しても聞かないときはおしりを叩くという体罰を与えました。しかし体罰と言っても常識を逸脱するようなものではなかったそうですが、少年にとっては親からの叱責がとても恐ろしく、自分が泣いて見せると親の怒りが収まることを知り、それ以降は、悲しいという感情がないのに、先回りして泣いて逃げる方法を覚えたそうです。しかし、このことは、後々、少年が感情を素直に出し難くしたという意味で悪影響を与えたと言われています。
   その後、小学三年生の時に、目の焦点が定まらない等、様子がおかしくなって、医師の診察を受けました。その結果、母の過干渉による軽いノイローゼ」と診断され、医師からは、親のしつけが厳しすぎる。早まって口出ししたり、過去のことをくどくど言ったりせず、子どもの性格を理解したうえでしつけをしてください」と指導を受けたそうです。
   その後、親はあまり叱らなくなりましたが、少年は親に対して心を閉ざし、親に決して甘えようとしませんでした。寝る時は、ベッドの周りを縫いぐるみでバリケードを作っていたそうです。
 そんな少年Aが唯一心を開いていたのが母方の祖母だったそうですが、その祖母は少年が小学校五年生の時に亡くなりました。その祖母の死との繋がりは不明ですが、そのころから少年はナメクジやカエルを解剖する遊びをするようになったそうです。その対象が次第に鳩や猫となり、とうとう自分より年下の小学生となり、あの事件が起きたのです。
(更に続く)

【解説】
   神戸連続児童殺傷事件は、1997年に数か月にわたり、複数の小学生が殺傷された事件である。通り魔的犯行や遺体の損壊が伴った点、特に被害者の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれた点、地元新聞社に「挑戦状」が郵送された点など、強い暴力性が伴なう特異な事件であった。また、犯人がいわゆる「普通の中学生」であった点も社会に衝撃を与えた