【今回の記事】

【記事の概要】
   渋谷容疑者のFacebookの自己紹介欄には、「いじめにあった為、人間不信なところがある」との記述があった。
   千葉県松戸市立六実(むつみ)第二小3年だったレェ・ティ・ニャット・リンさん(9)=ベトナム国籍=の遺体が見つかった事件で逮捕された自称不動産賃貸業、渋谷恭正(やすまさ)容疑者(46)=同市六実4=は、登下校中のリンさんとハイタッチするなど親しげに交流する一方、ささいなことで激高する姿も近隣住民らに目撃されていた
   近くに住む男性(67)によると以前、グリーンのベストを着た渋谷容疑者が見守り活動仲間と道をふさぐように歩いており、気付かないので車のクラクションを鳴らした。すると渋谷容疑者は窓をノックしながら「降りろ。なんでそんなことするんだ」と怒り出したといい、「ずいぶんキレやすい人だと思った」と振り返った

【感想】
   この事件を受けて、尾木ママはブログの中で「家族以外に簡単について行かない!は基本です!」と断言している。これまで繰り返し子供達に指導してきた「知らない人にはついて行かない」から「家族以外の人にはついて行かない」へと移行して行かざるを得なくなるのか?知っている人さえも警戒しなければならない世の中になるのか?
   しかし昨今は、家族でさえ安全な場所でなくなりつつある事をこのブログで以下のように投稿した。

   家族同士の愛着も不安定な今、私たちは心の拠り所を一体どこに求めればいいのだろうか?

   さて、今回は上記の記事から、「なぜ渋谷容疑者が逮捕に至るような行動に走ってしまったのか?」という事について考えてみたい。
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   彼が乳幼児期にどんな養育を受けていたのかは分からないが、乳幼児期に親との間に形成した不確定な愛着は、成長と共に様々な人間と接していくうちに変化しながら、成人する頃までにはその人独自の愛着スタイルが形成される。「いじめで人が信用できなくなった」という本容疑者は、最終的に対人関係において不安感を抱く「不安型愛着スタイル」に辿り着いてしまったのではないか?
   なお、「不安型愛着スタイル」の人の特徴については、以下の記事で紹介している。
この記事では、「不安型愛着スタイル」の特徴について以下のように紹介している。
相手に見捨てられることを恐れる一方で、激しい言葉や、相手のプライドをズタズタにするような言葉をわざわざ投げかけてしまうのです。その背後には、相手が自分のことをおろそかにしているという被害妄想的な面があります。
否定的な感情にとらわれやすく、些細なことをいつまでも引きずりやすく、じくじくと長引かせやすい特徴もあります。見捨てられることへの恐怖や認められたいという欲求が強力であるだけに、それをないがしろにされたことに対する怒りは、そう簡単には収まらないのです。

   記事にある通り、渋谷容疑者が「ささいなことで激高する」「キレやすい」のは、上記の「相手が自分のことをおろそかにしているという被害妄想的な面」や「見捨てられることへの恐怖や認められたいという欲求が強力であるだけに、それをないがしろにされたことに対する怒りは、そう簡単には収まらない」という特徴が影響していると考えられる。
   もしも彼が「安定型愛着スタイル」を持っていたならば、いかに偏った性癖を持っていたとしても、今回のような犯罪には及ばなかったであろう。

   では、そもそも渋谷容疑者の「不安型愛着スタイル」を形成する発端となった“いじめ”はなぜ起きたのか?
   ある専門家は、「いじめは加害者が自身に溜めたストレスの発散によって起きる」と述べている。つまり、子供のストレスの大元となる家庭生活の中で、加害者が自身の親との安定型の愛着(愛の絆)形成に失敗し、そこで生まれたストレスを渋谷容疑者に「いじめ」という形でぶつけたと考えられる。

   知っている人さえ警戒しなければならなくなった日本。今回の渋谷容疑者の行動にせよ、その発端となった“いじめ”にせよ、今の問題社会を改善する鍵は、やはり人間同士の愛着(愛の絆)にあるようだ。
   因みに、「安定型愛着スタイル」を身につけ、かつ維持し続けるための方法については、過去の投稿記事で紹介している。参照頂ければ幸いである。