【今回の記事】
②教育勅語をめぐる最近の閣僚答弁(下記図参照)

【記事の概要】
政府は先月31日、“教育勅語”をめぐり「教材としての使用を否定しない」という方針を示した。松野文部科学大臣は3日、「教育勅語を歴史の理解を深める観点から、社会科の教材として使う分には問題ない」と説明。また、菅官房長官は、教育勅語には道徳の観点からも学ぶべき点があるとした。
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   しかし、教育勅語は、戦後まもなく、衆議院で排除の決議、参議院では失効の決議が行われている。“国家の非常時には天皇のために命を捧げよ”という精神は、国民主権の理念とは相容れないという理由からだ。菅官房長官は「親を大切に、兄弟姉妹仲良くする、友だちをお互い信じ合う、そういうことまで否定するべきではない。適切な配慮のもとに教材として用いること自体に問題はない」との認識を示した。

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【感想】
   あるテレビのコメンテーターが「『(「教育勅語」で謳われている)親を大切に、兄弟姉妹仲良くする、友だちをお互い信じ合う』という事は他の教材でも教えれるのではないか?」と話していた。それでもなぜ、過去に廃止になった「教育勅語」にこれ程注目が集まるのだろうか?

   ちなみに、私は以前教育勅語に関わって以下のような記事を投稿している。
この中では、「教育勅語」のどこが良くてどこが良くないのか?という事を述べている。参照頂ければ幸いである。

   今誰もが、人間同士が傷つけ合う今の社会状況や学校現場の実態を憂いている。しかも、“人間同士の信頼の希薄化こそが根本の問題であるという事を痛いほど感じている。しかし、その打開策が見当たらないのである。その点、教育勅語には「親を大切に、兄弟姉妹仲良くする、友だちをお互い信じ合う」事など、人間同士の心の繋がりを尊ぶ考え方が凝縮されている。だからこそ政治家はそこに魅力を感じてしまうのではないだろうか?

   つまり、私たちは、人間同士の心の繋がりを回復する教育方針こそを求めているのである
   私は、その解決策こそが「愛着」、つまり人と人との「愛の絆」であると考え、これまで何度も愛着形成の大切さを主張してきた。そして、凄惨な事件が報道される度に、常にその背景に「愛着(愛の絆)」の未熟さがある事を痛感してきた。その「愛着(愛の絆)」を形成するために私が考えたのが「愛着7」による支援である。

   実は、下記に示した7つの項目は「愛着7」を「教育勅語」風にもじったものである(以前にも似た様なものを紹介したが、今回の方が子供達へのメッセージ性がある)。この中にこそ「人間同士の心の繋がりを回復する教育方針」が凝縮されていると考えている。

①母親は子どもが乳幼児期の時には子どもの近くにいて親身に養育に当たりましょう
②親は子供と積極的にスキンシップを図りましょう
③人と話す時は相手を見て優しく微笑みましょう
④人に話しかける時は穏やかな口調で話しかけましょう
⑤人の話はうなずきながら聴きその内容に共感してやりましょう
⑥相手の人を小さなことからたくさん褒めましょう
⑦親は、以上の中でやると決めたものは、気分でやったりやらなかったりしないようにしましょう

   ③〜⑥は子供が気をつける項目であることはもちろん、親が子供に接する時にも当てはまる項目である。つまり、上の7つは親に対しては全て当てはまるものである。なぜなら、人間の一生の人格形成に影響を与える愛着の形成に最も重要な役割を果たすのが親だからである。とりわけ、母親が子供の乳幼児期に果たす役割は絶大である。
   また、子供が③〜⑥の事柄を気をつけることで、穏やかな人間関係が築ける様になると考える。もちろん、そんな穏やかな接し方を心がけている子供を親が褒めてやる(上記「⑥」)ことが前提であるが…。