【今回の記事】
【記事の概要】
話題が東日本大震災で避難した児童生徒への「震災いじめ」に及んだとき、中学2年の女子生徒(14)は、それまでの柔らかな話しぶりを変えた。
「地震で怖い思いを経験していない人が、そういうこと(いじめ)をするのは、おかしいと思った」
当時は小学2年。福島県の浜通りから家族とともに埼玉県内に避難した。「何で引っ越すのかよく分からなくて驚いた」という。一番気になったのは、ともに被災し、離ればなれになる友達のことだった。
震災いじめの存在は、つい最近の報道で知った。
「私は小さかったからか、嫌なことを言われることはなかった。でも、男の子は避難も大変だったのに、その後もなぜつらい目に遭わなきゃいけないのかな。(いじめにあった人が)いじめられたと訴えていたのに、大人がいじめではないと言っていたのがおかしい。ちゃんと対処してほしい」と言葉を重ねた。
【感想】
「地震で怖い思いを経験していない人が、そういうことをするのは、おかしいと思った」
「男の子は避難も大変だったのに、その後もなぜつらい目に遭わなきゃいけないのかな」
「いじめられたと訴えていたのに、大人がいじめではないと言っていたのがおかしい」
福島の沿岸に住み、埼玉県に避難せざるを得なかった人間、しかも子供の素直な想いが持つ意味は重い。
震災で直接の被害を受け他県に避難せざるを得なかった人間が、直接の被害を受けていない人間にいじめられる。改めて不条理である。本来なら「震災大変だったね。何か力になれる事があったら言ってね。」という“いたわり”の言葉をかけられるべき人間が、逆に被害を受けていない人間から傷に塩をぬり込められているのだ。日本はいつからそんな国になってしまったのだろう。
いじめられて死ぬほど辛い思いをしている子供が現実にいるのに、教育委員会や学校側はいじめではないと否定する。「この法律(いじめ防止対策推進法)において『いじめ』とは、(中略)当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」と、法律で決められているのに、なぜ教育委員会や学校側はいじめではないと否定するのだろうか?いじめられている子供の気持ちを一体どう思っているのだろうか?
また、加害者の親はどう思っているのか?我が子が他の子供をいじめている中、教育委員会や学校側が謝罪会見をしているのに、なぜ匿名でもいいから「我が子がした行為はいじめです」と名乗り出ないのか?いじめによってこの上ない辛い想いをしている子供よりも、不条理ないじめをした我が子の方が大切なのか?
なぜ、いじめによって辛い思いをした子供達が、世の中の大人達から「あなたが受けたのは、“いじめ”と言われる程のものではない。」と突き放されなければならないのか?
不条理な疑問だらけの「日本丸」は、“いじめられた子供の気持ち”という最も大切な荷物を海に投げ捨てて、これから何処に向かって漂流していくのだろうか?