【今回の記事】

【記事の概要】
   逆上がりを教えたら不審者? 2月17日、警視庁のホームページ上の管内不審者情報のページに、以下の情報が掲載された。

世田谷警察署
2月16日(木曜)、午後4時00分ころ、世田谷区経堂5丁目の公園内で、児童(男)が遊んでいたところ、男に声をかけられました
声かけ等の内容
タバコを吸っていた
児童に鉄棒の逆上がりを教えていた
不審者の特徴:年齢35歳から40歳、痩せ型、鼻の下ひげ、身長170センチメートル、黒縁めがね、黒色ニット帽、黒っぽい服装上下、自転車乗車

   警視庁は不審者情報があった場合、このページに掲載するほか、登録している住民に「メールけいしちょう」として配信している
   このメールを受け取り、疑問に思ったのは世田谷区在住の会社員(44)。小学3年生の娘と年中の息子を持つ母だ。
「私たちの世代は普通に、親や親戚以外の大人たちとも接しながら成長してきました。『知らない人にはついていっちゃダメ』とは言われてきましたが、こんなにガードを固くしなきゃいけないんでしょうか?都会って大変ですね」
「不審者の特徴といっても、普通の男性じゃないですか。けれど、文面は変質者のようなイメージを与えますタバコを吸っていたなんて、必要な情報ですかね? その子が鉄棒を教えてもらう以外で、何か変なことをされていたとしたら別ですけど」
   では、どのように判断され、不審者情報として扱われるのか
「不審者情報として配信する情報については、不審点の有・無のみで判断しているわけではなく、通報を受けた警察署において、発生場所、時間、具体的な言動の状況を総合的に判断し、配信の必要性を見込めた場合に配信しています」
   また、掲載の判断基準は次のように説明した
「ホームページ上の不審者情報は各種通報を受けた各警察署が『子どもに対する声かけ事案』『子どもに対する暴行事案』について『メールけいしちょう』で情報を配信すべきと判断して配信したものが掲載されています」
   不審者情報のページには、このような注意書きもある。
不審者情報の中には、単に道をたずねたり、善意で声をかけたりした行為などが含まれている可能性があります
   今回のように善意か不審者なのかわからない情報を警視庁が流すことで、反対に住民が不安になったり、不審に感じたりすることについてはどう思うのか。更に聞いた。
「『不審者情報』については、声かけの内容そのものから、子どもに不安を与えた場合だけでなく、態度、言葉遣いなどから不安を与えた場合にも配信する場合があります」
「それは、声をかけられたという事実による受け手の不安からであり、『善意から声をかけただけなのに不審者扱いされる』と受け取られる可能性があることは認識しています
「このような事態を避けるため、可能な限り不安を与えた具体的な言動をメール本文に記載するなど、引き続き、メールけいしちょうを適正かつ、効果的に運用し、都民の安全・安心の向上に努めて参ります」

【感想】
   今回の投稿の焦点の一つは、警察がメール配信した事案が、本当に配信の必要があったものかどうかという点である。
   警察の説明では、「子どもに(何かしらの行為によって)不安を与えた場合だけでなく、態度、言葉遣いなどから不安を与えた場合にも配信する可能な限り不安を与えた具体的な言動をメール本文に記載するとの事だったが、2月16日に寄せられた連絡については、鉄棒を教わった児童はその男性から何も被害を被ってはいないし、連絡の文面には、“態度”や“言葉遣い”については記載されておらず児童が“不安感”を抱いたことは読み取れない。何よりも、その子供が本当に不安感を抱いたならば、逆上がりを教わる前に走って逃げていたはずである。
   また、警察のメール配信基準についての説明も、「発生場所、時間、具体的な言動の状況を総合的に判断し、配信の必要性を見込めた場合に配信しています」「『メールけいしちょう』で情報を配信すべきと判断して配信したものが掲載されています」と実に曖昧である。これは、判断基準そのものが有名無実化しており、あらゆる事例を配信していることの表れではないだろうか。
   また、記事にもあったように、メールを受け取った保護者は不安感を持ち、連絡があった場所では遊ばないようにさせようとする。つまり不必要な不安感を与え住民の行動に制限がかかることにもなるのである。

   焦点の2つ目は、配信したメールが、悪意もなく声掛けをした人間にとって侮辱感を与えたり、その人の自尊心を傷付けたりすることはないかという点である。
   しかし、警察の説明では、
不審者情報の中には、単に道をたずねたり、善意で声をかけたりした行為などが含まれている可能性があります
「『善意から声をかけただけなのに不審者扱いされる』と受け取られる可能性があることは認識しています
と、悪意がなく善意による行為でも配信されることを前提として考えていることがわかる。
   警察の意図は、「何か事件が起こる前に、未然に危険性を住民に知らせよう」ということだとは思うが、そのメールによって、自尊心を傷つけられる人が出たり、住民に必要以上な不安感を与え行動に制限を加えたりすることに対しては、あまり配慮がなされていないようである。
   仮に本物の不審者が、普通の人と変わらないように近づいてきた時点で警察に連絡すれば、その不審者からの被害を防げると言うなら分かるが、現実的には無理である。警察が駆けつけた頃には、既に何らかの不審行為を受けているはずである。
   このように現実的に意味の無いメール配信は、住民に必要以上の不安感を煽るだけで、善意に基ずく“地域の繋がり”を分断するものである。

   すべての危険から100%未然に身を守ろうとすれば、いつも外出せずに自宅にいなければならなくなる。だからこそ、各家庭では「変な(言動をとった)人がいたら逃げなさい」と教えることで、今の世の中と上手に付き合える人間に育てようとしているのである。
   人を疑い、“地域の愛着”(「愛の絆」による連帯感)が切り捨てられていく世の中では、余りにも寂しすぎる。今回の事例も、愛着が失われた結果生まれる暮らしにくさを象徴している。