【今回の記事】

【記事の概要】
   まもなく、進学や就職など、上京の季節がやってくる。そこで、28才の会社員の方にこの季節の思い出を聞いた。

「『うちは貧乏なんだから、わがままを言っちゃダメ  私は幼い頃、いつも自分にこう言いきかせていました。私は生まれてすぐ、父を病で亡くし、母子家庭で育ちました。母は高校卒業後すぐに結婚し、職務経験がなかったため、いい職に就けず、パートを掛け持ちしていたのです。
   小学6年生の時、ズボンの膝が破け、「これで新しいのを買ってもらえる」と淡い期待を抱いて母にお願いしたことがありました。すると翌朝、破れた部分にアップリケを縫いつけたズボンを渡されたのです。私は思わずズボンを投げつけました。こんなズボンをはいて行ったら、笑い者になると思ったのです。
お母さんは私がどれだけ恥ずかしい思いをしているかわかってない!』
それまでのがまんが爆発しました。私はそれ以来、母とあまり話をしなくなりました。そして高校生になったある日、私の目を覚ます出来事が。私は母のお弁当を間違って持って行ったのです。そのお弁当は私のものより重く、『私よりいいものを食べてるんだ』などと思いながらふたを開けました。すると、そこには白米しか入っていませんでした。その時初めて、自分の食費を切り詰めて私を育ててくれていると気づいたのです。
   いい大学、いい企業に入って、母を楽にしてあげたい。それからの私は勉強に打ち込み、志望大学に合格。学費も生活費も自分でなんとかするつもりで上京し、ひとり暮らしを始めることとなりました。
   別れの日、母は私名義の通帳をくれました。通帳を開くと、驚くほどのお金が貯められていましたこの日のために食費を削って、着飾らず、化粧も一切せず…。どれほど苦労したでしょう。
   今でも母は働いていますが、私も仕送りができるように、今度は私が母の役に立っていけたらと思っています。」

【感想】
   この記事に掲載されている母親が娘に伝えたもの、それは紛れもなく「親の愛情」でした。私は親が子供に愛情を伝えるための1つの手立てとして「愛着7」を提案していますが、この記事の母親の愛情の伝え方はまた別の姿です。
   私は以前、シリーズ「愛着の話」の第一話で、「真の愛情とは子供に金や物を与えることではない」という事を述べました。世の中には裕福な家庭もたくさん借り、何不自由なく金品を子供に与えている親もいると思います。しかし満ち足りた生活の中では決して経験することの出来ない親子の繋がり方があるということをこの記事の親子は私たちに教えてくれます。
   私達は、豊かになりすぎると自分たちが幸せであるということを忘れがちです。例えば、今は家全体に暖房が効いている家もあるとの事ですが、寒い廊下や洗面所があるからこそ、暖房の効いたリビングの暖かさが有り難く思えるのです。
   また飽食の世である日本に住んでいると、食料の有り難さを忘れ、平気で食べ残しをゴミとして捨ててしまうことが日常化してしまいます。その一方で、少ない食べ物を家族みんなで分け合って食べている、俗に「貧しい」と言われる国もありますが、互いのことを思いやり、少ない食料を分け合う家族こそが「愛着(愛の絆)」によって繋がっている家族なのです。このような家族は、物理的には貧しいのかもしれませんが、精神的には豊かな家族だと言えるでしょう。
   国際連合による基準では後発開発途上国(最貧国)に分類されながらも、国民の97%が「自分は幸せ」と感じ「世界一幸福な国」と呼ばれているブータンがそのいい例ではないでしょうか?幸せにとって大切な事は、人々がつながって生きることです」これは、ブータン研究センターのカルマ・ウラ所長の言葉です。

   現在日本では貧困家庭は増加の一途を辿っていますが、物理的な貧しさを嘆くか、精神的な豊かさを喜ぶか、は、どれだけ家族が愛着(愛の絆)で結ばれているかによって決まってくるのだと思います。「愛着7」は微力ながらその為のお手伝いをするものです。