【今回の記事】

【記事の概要】
   愛知県一宮市の教育委員会は、市内の中学校に通う男子生徒が、6日、大阪のビルから飛び降り自殺したと発表した。
   一宮市教育委員会によると、今月6日、市内の浅井中学校に通う3年生の男子生徒(14)が、遺言を記したゲーム機を友人に託したのち、大阪駅にあるビルから飛び降り自殺したと発表した。
   遺言には「担任によって私の人生すべて(学力、存在価値、生きがい、性格etc)を壊された」と書かれていたという。
   市教委は10日、「死を選ぶまでに思い悩んでいたことに気付かなかった」といったん発表した。
   しかし、遺族から去年の10月には学校に相談していたと指摘されたのを受け、11日、「気付かなかったという表現は、適切ではなかった」として訂正した。
   学校は、担任の教諭(47)を自宅謹慎処分にした。
   また、市は第三者委員会を設置し、原因の究明に努めるとしている。

【感想】
   遺族に指摘されるまで、昨年10月に相談を受けていた事を学校側が忘れていた。これは、市教委に報告した学校長の過失であると同時に、自覚の弱さを物語っている。
   また、学校側が、担任の教諭を自宅謹慎処分にしたということは、担任の責任を明確にしたということであるから、担任に対する学校長からの指導は行われたことが分かる。
   しかし、それでも担任の指導は変わることはなかった。子どもの悩みに応えようとする思いが欠如していたのだ。未熟な子どものいじめならいざ知らず、大人であり、しかも教員採用試験を合格しているプロなのである。これはもはや、指導技術云々を通り越して、教師としての資質に関わる面である。

   問題は、この担任がこの生徒に対してどんな指導をしていたかである。
   記事によると、遺書には「担任によって私の人生すべて(学力、存在価値、生きがい、性格etc)を壊された」とあった。担任に対する不信感があれば「学力」が下がるのは当然である。では、なぜ担任に対する不信感が生まれたのか?そのカギになるのが「存在価値」「性格」を破壊されたという遺書の記述である。これらは「人格否定」という「暴言等」に含まれる「不適切な行為」(東京都教育委員会発表資料より)とされるものである(ちなみに、文科省では「不適切な指導」という表現を使用している)。この行為は、物理的な体罰には当たらないが、子どもの心を傷つける精神的な体罰と言えるだろう。自殺した生徒は、心を傷つけられたその思いを「担任によって私の人生すべて(学力、存在価値、生きがい、性格etc)を壊された」と表現したのである。

   子供たちは、先生は絶対の存在と思い、先生が発する言動を受け止めなければいけないと思い我慢している。しかし、教室という閉ざされた環境の中では、教師による「不適切な行為」がなされている場合が多い。昔から力による威圧的な指導をする教師は多く、「これくらいはいいだろう」という誤った認識があるものと思われる。

   親は、担任に対する子供の愚痴の中から出てくる「ののしる」「脅かす」「威嚇する」「人格(身体・能力・性格・風貌等)を否定する」「馬鹿にする」「集中的に批判する」「犯人扱いする」等の言葉を聞き逃してはならない。それらはいずれも子供の心を傷つける「不適切な行為」に当たるからである。「それはお前の心が弱いからだ」等と子供を責めることなく、子供の辛さに共感し、「お父さんお母さんはあなたの味方だよ」と声をかけてあげて欲しい。