【今回の記事】
新成人に「態度なってない」 式辞で市長声荒らげ 兵庫・明石

【記事の概要】
   兵庫県明石市の泉房穂市長は9日、同市成人式の式辞で「ざわついていて、みなさんの態度はなっていない。式典に多大な税金を使っているが、来年以降の取りやめを考えたくなる」と声を荒らげた。関係者や新成人からは、前触れなく怒鳴るような言い方をしたことに批判が出ている
   ある市議は「静かにしなさいと注意せず、頭ごなしで行き過ぎ」とし、新成人は「大人げなく、見習いたい態度でなかった」と話した。

【感想】
「また、新成人の式での態度が悪かったのか。」と思いきや、どうやらそうではないようです。非難の声が集まった訳は、新成人を叱った市長の“叱り方”にあったようです。
   つまり、気になる点があったならば、①まずは、普通の言い方で注意をし、②それでも直らない時に厳しい注意をするべきであった、という指摘です。今回は「①」がなく、いきなり「②」に及んでしまったという、俗にいう「頭ごなしな叱り方」になってしまったというわけです。

   しかし、このような事は、普段私たち大人も、うっかりやってしまいがちではないでしょうか。本来であれば、
①気になる点が見つかる。
②訳を聞く。(この時点で叱れない状況であることが分かる場合もある)
③訳がなければ、これからは直すように告げる。
④それでも直らない時は厳しく注意する。
という段取りを踏むべきなのだと思います。しかし、この②と③を跳ばして、自分の認識だけでいきなり④に至ってしまう場合が意外と多いような気がします。この叱り方がなぜ悪いかというと、親や教師の「安全基地」としての機能が破壊されてしまうということにあります。本来ならば、子供は親や教師に対して愛着を形成し「安全基地」として認識して欲しいのです。そのようなストレスを癒す場があることによって、子供は安心して家庭生活や学校生活を送ることができるのです。
   しかし、先のような②と③を飛ばした頭ごなしな叱り方をすると、子供は親や教師に対して“恐怖”を感じ、「安全基地」としての機能を低下させることになってしまうのです。特に②を飛ばしてしまうと、子供は「自分の気持ちをわかってもらえなかった」という気持ちになり、大人に対する不信感を抱くことになってしまうことがあるのです。このように“信頼感”を損なうことも安全基地としての機能を低下させることになります。
   感覚過敏の子供の場合、これらのために急に登校渋りになってしまうこともあるのです。

   しかし、しかしです。今回の記事の場面は、20にもなる人間達が大人になるための決意を固めるために集まっている「成人式」なのですそのような神聖な式にも関わらず、市長の話を聞かずいつまでも私語を止めずにしゃべり続けていた新成人たちの方がむしろ反省すべきではないかと私は思います。成人し何らかの職についた場合、仕事に集中しなければいけない時に私語をしていれば、中には厳しく注意をする大人もいるという社会の現実を自覚するべきです。
   精神科医の岡田氏は、何かにつけ人のせいにして自分を反省しない「自己愛」の人間が急増している事を憂いています。まずは自分の責任を果たすこと(今回の記事の場合であれば、まずは壇上に上がった大人の話をしっかり聞くということ)。人を非難するのはそれからです。