(この「愛着の話」は精神科医の岡田尊司氏を中心に、各専門家の文献を、内容や趣旨はそのままに、私が読みやすい文章に書き換えたものです)


   どういう愛着が育まれるかということは、乳幼児期の仕方で決まり、その中で身につけた人格はその子の一生の人格形成に影響を与えるのだそうです。そういう意味で愛着スタイルは「第二の遺伝子」とも呼ばれるそうです。つまり、その期間に十分に愛情を注がれた子は、大人になっても、自主的で人間関係も良好な人間に育つということであり、もちろんその逆も然りです。岡田氏は、今の日本におけるこの認識の実態についいて、次のように述べています。「多くの情報に触れ、豊かな知識を持つ人たちでさえ、愛着の問題がどれほど持続的な影響を及ぼすかについて、十分な認識を持つ人はまだ少ないのが現状だ。幼い頃の愛情がある程度大事だという認識はあっても、そこまで深刻な影響が、しかも長期にわたって及ぶとは思っていないのが普通ではないだろうか。」(岡田2011)
   ところで、どうして、たかが乳幼児期の養育の仕方が一生の人格に影響を及ぼすのでしょう。これはあくまで私の考えですが、人間は他の哺乳類に比べてかなり未成熟な状態で生まれてきます。他の哺乳類は生まれてすぐに自分の力で立つことができますが、人間は全くの無力です。そういう時に遭遇するトラブルはまさに生死に関わる重大事件です。先に、「母親から適切な養育を受けなかった赤ん坊の悲劇」の項で、「いくら呼び続けても来ないお母さんを求め続けることは、生まれたばかりの幼子にとってはあまりにも大きな負担となります。そこで、自分が生き延びるために止む無く、自分が愛した存在を自分の心から消し去るのです。」と述べましたが、「自分が愛した存在を自分の心から消し去る」というこの行為は、まさに「生き延びて子孫をつなぐ」という、動物としての本能が選択し脳に刻み込んだ適応行動と言えるのかもしれません。ひとたび脳に刻み込まれた適応行動が、その後の人生の指針となることもうなずけるところです。
   ちなみに、教育基本法の「教育の目的」では、次のように示されています。「教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として、心理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」。つまり目指すところは、学業でもなくスポーツでもなく一芸に秀でることでもない、「将来の社会を形成する人間にふさわしい(豊かで安定した)人格の形成」ということになります。そういう意味で、「第二の遺伝子」と呼ばれ、人間の一生に渡る人格形成に影響し、安定した愛着スタイルを持った人間の育成に寄与する「愛着」の考え方は、本来の教育の目的を達成するうえで必要不可欠なものと言えるでしょう。