【今回の記事】
神戸市内の新聞記事です。あるマンション内の会合で、小学生の親御さんから、「知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では子ども達に挨拶しないでください」という要望が出され、認められたそうです。新聞に投稿した方は「理解に苦しんでいます」と納得できていないご様子です。
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【感想】
   このケースの場合、「知らない人に挨拶されたら逃げなさい」と子どもに指導することが妥当なことかどうか、そこがポイントになります。

   まず、この保護者の言わんとすることは、俗にいう「『不審者』から子どもを守りたい」ということであり、決して、知ってる人にしか近づかない狭い人間関係を作らせたいということではないと思います。つまり、その不審者に近づかせたくないという思いから、「知らない人に挨拶されたら逃げなさい」と子どもに指導しているのだと思います。
   しかし、その不審者がマンション内に入ってきて、子どもとバッタリ会って、その子に何らかの危害を加えようする場合は、挨拶をしないで急に襲いかかってくることも十分考えられます。つまり、不審者が他者に危害を加えることに関して、その人から挨拶をしてくるかしてこないかは関係ないのです。
   つまり、子どもに指導すべきことは、「知らない人に挨拶されたら逃げなさい」ではなく、「不審者と思われる人に会ったらどう対処すればいいかということなのです。
「不審な人」は、表情が極端に暗かったり特定の相手をにらんだりします。また、同じ所をウロウロしたりずっと同じ場所に立っていたりする等の通常はしない挙動不審な行動の仕方をします。小学生くらいになれば、その異様な雰囲気には大抵の子が気づきます。その時は、自らその人から距離を置く、離れる等の行動をとるように指導します。(その不審な人を見ていきなり走って逃げ出すのは危険です。不審者扱いされたと思い逆上し追いかけてくることがあるからです。)しかし念のために、朝は集団登校、帰りは、「帰る方向が同じ人たちは、できるだけ一緒に帰りましょう」と指導しています。つまり、複数の目で不審者の存在をチェックさせようというわけです。
   この独特の表情や行動の仕方において、普通の健全な「知らない人」は、不審者の様子や雰囲気は明らかに異なります。ですから、知らない人全てを不審者と見なす必要はないと思うのです。
   しかし、世の中には「100%」と言い切れることはなく、中には、様子や雰囲気が健全な普通の人と全く変わらない不審者もいるかもしれません。しかしだからと言って、もしもその人達までをも不審者と見なしてしまうと、子ども達には、「知らない人に会ったら逃げなさい」または「部屋から出てはいけまさん」となってしまうはずです。しかし、そんな生活をすることはあり得ません。誰もが、ある程度のリスクを冒して毎日家の外に出ているのです。だからこそ、不審者に会った時の行動の仕方を指導しておくことが重要になるのです。

   一番気をつけなければならないことは、保護者の方自身が「脱愛着(他者との心の絆を失った状態)化」してしまい、子どもにその価値観を押し付けてしまうことです。
   挨拶は人間社会の基本です。常に知らない人全てに神経を尖らして過ごす窮屈な生活よりも、知らない人同士でも挨拶ができる清々しい生活の方が、子どもの成長のうえではメリットの方が遥かに大きいのです。