今日で東日本大震災から8年。あの日、津波に遭遇した石巻市立大川小学校では多くの児童達が犠牲になりました。この悲劇については、当時の教師による誘導の是非が焦点となり、現在も裁判が行われています。

   私自身も「高い場所に避難誘導していれば…」と言う思いがある中で、同じ教師という立場から、どうしても当時の教師達を責めきれない気持ちが今でもあるのも事実です。

   2016-10-29作成記事ですが、改めてご覧ください。


【今回の記事】
大川小学校の津波訴訟 争点と判決の詳細

【記事の概要】
   東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は石巻市などに対し14億円余りの賠償を支払うよう命じました。今回の裁判では、海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が到達することを学校側が予測できたかどうかが大きな争点になった。
   判決では、「市の広報車が高台へ避難するよう呼びかけているのを聞いた午後3時30分ごろには津波の到達を予測できた」としている。
   教員らが目指した近隣の交差点付近は大規模な津波が来ることを予測していた中での避難場所としては不適当だ。学校の裏山に避難する場合、津波から逃れるのに十分な高さである標高10メートル付近に達するまで、百数十メートル移動する必要はあったが、原告の遺族らによる実験の結果では、歩いても2分、小走りだと1分程度で足りていたことから、多少の混乱があっても避難を最優先にしていれば、津波で被災することを免れることができた。過去に椎茸栽培の学習などで児童も登っていた場所であり、避難場所として具体的な支障のない学校の裏山に避難させるべきだった。

【感想】
   宮城県石巻市の大川小学校の裁判。「先生の言うことを聞いていたのに!!」という遺族側の横断幕を見ると、同じ教師として心を締め付けられる思いがする。  
   しかし、なぜその教員らが、普段から子ども達が椎茸栽培の活動の際に登っており、更にわずか1、2分で登り切ることができる裏山を目指さずに、“高さ”が圧倒的に足りず、しかも逆に川に近くなる近隣の交差点付近を目指したのか?津波災害から身を守るために何よりも最優先されなければならなかった「標高差」という基本的な視点が抜け落ちてしまったのか?(以下写真内の、赤の点線が避難する予定だった経路。目指していた三角地帯は川との標高差がほとんど無い)一部報道によると「教員達は、崖崩れの危険性を恐れ、裏山への避難を避けた」との証言があるが、それもあくまで“可能性”の話である。標高差という「絶対条件」よりも、起きるかどうか分からない崖崩れという「可能性」を優先させた考えはやはり腑に落ちない。
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   しかし、今私がこうして客観視できるのも、命を失わずに生きることができているからである。犠牲になった教師達は、子ども達を守るために皆で必死に知恵を総動員させ、その上で尊い命を失ったのである。
   教師とて神様ではなく、失敗の連続である。ましてや、自身も津波に襲われた経験もなく、今回のような万が一にもミスを許されない立場に追い込まれた時、教師からも児童からも山への避難の要望に迫られていた時、最終判断を迫られる管理職だった教師の精神状態は如何許りだったか。結果的に、管理職の人間の指示の遅れが命取りになった。
   特に、不安意識の強い自閉症スペクトラム(ASD)の傾向の強い人間であれば、軽いパニックにでも陥ってしまいそうである。そういう人間にとっては、どれだけ歳を重ねても、先天性の特徴に対してはどうしようもないのである。(人間には全ての人にASDの傾向が大なり小なりある。詳しくは以下の投稿を参照ください。
あなたも私も“自閉症スペクトラム” その3
もしかしたら、その強烈すぎるプレッシャーが、その時管理職という立場にあった“人間”の判断能力を狂わせた可能性もある。

   改めて、子ども達の命を預かる立場の重さを痛感せざるを得ない。今はただ、亡くなられた子ども達、先生方のご冥福をお祈りするばかりである。

   なお、亡くなられた子ども達のご遺族には、この記事の趣旨をご理解いただければ幸いです。