【今回の記事】
教師が子どもを追い詰める―― 「指導死」の現場から

【記事の概要】
「悪いのはいつもオレだ」。そんな文字を遺書に記して2012年の夏、17歳だった新潟県の高校3年生、町山宏君(仮名)が自ら命を絶った。
悪いのはいつもオレだ 誰が正しくて誰が間違っていても関係ない」という書き出しで始まる遺書が見つかった。一体何があったのか?
   ある日、宏君らはまとまりのない部活動への不満をSNSに書き込んだ。それをきっかけに、ある生徒が部活を休んでしまう。宏君ら3人は顧問の男性教員に呼び出された。その場で教員は「何でそういう人たちに優しくできないんだ」「こんな状況では部活動を行うことはできない」などと発言した。後に教員は第三者委員会に対し、「意図的に強めに言った。3人はガツンと言われたと感じたのではないか」と証言している。
   部活を休んだ仲間に向け、宏君は謝罪のメールを2度送ったが、再び顧問の教員に呼び出された。今度は「1対1の指導」だった。報告書によると、教員は「おまえは教師を目指しているようだが、うまくいかない生徒に愚痴を言っても何も始まらない。どうしたら人がうまく動いてくれるかを考えた方がいい」などと言った。生徒は、この発言によって、自分の夢と自己存在感とを否定されたという印象を持った。
   誰もが進路を真剣に考え始める高校3年の夏。宏君は指導の後、部室に行き、友人に「俺、もう学校辞めるわ」と言った。その夜は8時頃に帰宅。夕食も食べずに自室に入り、二度と出てくることはなかった。
   第三者委員会は、自死と指導の関係について、「学校における一連の生徒指導が最大の要因」と認定した。さらに「指導死」の言葉も用いながら、「一般的に子どもは行動への批判を人格否定と受け取りやすく、大人が考える以上に精神的なダメージを受けやすい」と指摘している。

【感想】
   今回の記事は、「力による指導」ではなくとも、子どもの言い分を聞かずに、「子どもの尊厳を傷つける指導」が生徒を追い詰めることの危険性を指摘している。

   この「子どもの尊厳を傷つける指導」の泥沼から抜け出す第一歩は、どの子からも平等に言い分を聞くことである。先入観を持って、「この子が悪い」と決めつけると、子供は教師に対して大きな失望感を抱く。たとえ、その子の言い分が正しいものでなかったとしても、「なぜその行動をとったのか」を聞いてもらえるだけで、その子どものストレスはかなり緩和される。今回の記事の例でも、SNSに不満を書き込んだことがきっかけに、別の生徒が傷つき学校を休むことになってしまったのだが、指導した教師は、友達を登校できなくさせた結果だけを取り上げて、なぜ、生徒らがSNSに書き込みをしたのか、という「わけ」に耳を貸そうとしなかった。彼らは、まとまりのない部活動の状態をなんとかしたかったのだ。しかし、まだ未熟であるがゆえに、舌足らずな文章になってしまい、結果的に友達を傷つけてしまっただけなのだ。(元々はと言えば、部活動がまとまりを失ったのは、顧問である教員の監督責任なのである。)
   昔から「喧嘩両成敗」という言葉があるが、それぞれの言い分はどちらかが100点で、どちらかが0点ということはない。仮に、A生徒の言い分が70点で、B生徒の言い分が30点だとしよう。その際に、次の順序で子どもと会話をするとよい。
①それぞれの正しい分、Aの70点、Bの30点の内容を聞き、それぞれの気持ちを受け止める。(「なるほど、A君はそう思ったのだね」「なるほど、B君はそう思ったのだね」)
②それぞれの不足分のAの30点、Bの70点の内容を指摘、指導する。(「でもな、A君、…」「でもな、B君…」)

Bにすれば、たった30点分でも自分の気持ちを受け止めてもらえるだけで、彼の尊厳は守られるそうすれば、その後の不足分の指導である「A君は…に気をつけよう。B君は“特に”…に気をつけよう。」という偏りのある言葉も受け止めることができる。しかし現実には、Aの70点、Bの30点であるにも関わらず、教師の勝手な決めつけで、Aを100点に、Bを0点にされる場合があるから、Bの生徒の尊厳を傷つけるのである。

   また、気をつけなければならないのは、真面目な生徒ほど、自殺に走りやすいということである。私なりに言わせてもらえば、誰もが自閉症スペクトラム(ASD)の特質を持っている(「あなたも私も“自閉症スペクトラム” その3http://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12171281341.html参照)。このASDには、「生真面目で感じやすい」という特質がある。この特質が強い子どもほどショックを受けやすいのである。教師は、子どもの感じ方は皆同じではないと心に刻み込まなければならない。