前回の続きです。

   三つめは、注意の仕方が厳しすぎるということです。「注意をする」というのは、相手の未熟な点を指摘することです。大人の社会は子どもの世界とは違います。「相手を尊重する」という意識を持った成熟した世界なのです。その世界において、相手の未熟な点を指摘する際には、それなりの配慮が必要です。端的に言うと、「穏やかに知らせる」ということです。この言い方で、お互いのコミュニケーションは格段に向上しますし、何よりも、その姿を子供達が目にすることによって、子供達にとっての良き手本となってほしいのです。かき氷屋のおばさんは、残念ながら高校生達にとっての良き手本とはならなかったようですが、「反面教師」にはなったかも知れません。

   最後の四つめは、生徒の前で教師の悪口を言ったということです。「生徒がこれなら教師もだめだねっ!」と注意された教師の側には、その教え子達がいました。その教え子達の眼の前で教師が注意をされたのです。この事例での生徒は、自分も予測不可能な叱責を受けたので、あまり感じなかったかもしれませんが、本来なら、その教師に対する畏敬の気持ちを失わせる行為になります。
   この「子どもの眼の前で、子どもの指導的立場にある大人が叱られる」ということは、教師対生徒の関係だけで起きることではありません。家庭の中で、子どもの前で母親が父親に叱られる、父親が母親に叱られる。これも同じことです。また、ある家庭では、親が祖父の悪口を子どもたちの前で話していたら、その子どもたちはおじいちゃんの言うことを全く聞かなくなったそうです。特に、小さい子ほど、畏敬の気持ちを失った大人の前では、“かしこまる”ことがなくなるので要注意です。(「父親の言うことしか聞かない子供、母親の言うことしか聞かない子供。http://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12196305570.html参照)また、部活動の先生の悪口を言う親も増えています。(「『うちの子はなぜレギュラーじゃないのか』部活動へのクレームもhttp://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12194269675.html参照)その悪口を聞いた子どもは、「僕がレギュラーになれないのは、先生が悪いからだ」と、自分にとって楽な方に意識が流れてしまうのです。その結果、その子どもには忍耐力が付きにくくなるのです。