前回の続きです。
   私は、マズローがいう「承認の欲求(他者から認められたい)・尊重の欲求(他者から大切に思われたい)」という欲求をそれぞれ「自分が人の役に立つことをしたときに、相手から『ありがとう』と言われたい(承認)」「相手から自分の迷惑になることをされたときに、その相手から『ごめんね』と謝ってもらいたい(尊重)」と解釈することにしている。定義があやふやなよりも、明確になっていた方が実践に移しやすいからである。

   さて、以前私が勤めていた学校の中で、学級崩壊に陥ったクラスがあった。その時、研究主任と言う立場にあり担任を持っていなかった私は、その学級の臨時担任となった。担任となった私は子供たちにある目標を提示した。それが、「『ありがとう』と『ごめんなさい』を1日にどちらかでも1回は言おう」だった。
   学級の目標は、「『ありがとう』と『ごめんなさい』を言おう」だったが、実は、子供たちには、「友達から承認されたい、尊重されたい」という欲求を満たしてやるのが目的だった。「ありがとう」を言えた子供がいたという事は、友達に何かしてあげて「ありがとう」と“承認”された子供がいたということである。「ごめんなさい」を言えた子供がいたという事は、友達から「ごめんなさい」と“尊重”された子供がいたということである。
   子供たちが様々なソーシャルスキルを学ぶのは、親や教師からの説諭によるものよりも、現実の学級生活や家庭生活の中での友達や家族との体験の中から学ぶ方が多いし心にも残る。大人から「友達を大切にしなさい」と言われるよりも、「授業中に消しゴムを床に落としてしまった友達の消しゴムを拾ってあげたらありがとうと言われて嬉しかった(承認欲求の充足)」、「休み時間中に間違って自分の机に体をぶつけてしまったお友達が『ごめんね』と言ってくれて嬉しかった(尊重欲求の充足)」。そういう現実場面を作りたかった。そのために意図的に設定したのが、「『ありがとう』と『ごめんなさい』を1日にどちらかでも1回は言おう」という目標だったのだ。
    担任し始めた頃は、子供同士の人間関係が崩壊していたクラスだったが、毎日帰りの会で、その日目標が守れたかどうかを子供たちに聞いた。守れたという子供は褒めた。守れなかったという子供たちには、明日は守れるといいね、と応援した。初めの頃は、守れた子どもは1人か2人という状況だったが、日を追うごとに人数は増えていった。学級の中に、「ありがとう」と「ごめんなさい」の言葉が溢れるようになった。それと比例するように、学級の雰囲気も明るくなり、子供同士で助け合いのできるとてもいい学級になった。望ましい人間関係を築くうえで、「ありがとう」と「ごめんなさい」の言葉がどれだけ大切かということを改めてあの子供たちが教えてくれたような気がする。
   
   今回のテーマは、「他者を尊重できる子供を育てるためには?」だったが、実は心理学上でいうと、「承認」と「尊重」は対になる考え方である。また、「承認」と「尊重」の何れにしても、A児からB児への一方通行ではなく、相手から言われて嬉しかった子供は、今度は自分も言えるようになろうと思う双方向の交流である。
   家族の中では、いちいち目標を立てたりすることはない。家族をリードするのは親である。親が子どもに対して積極的に「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うことによって、言われて嬉しかった子供も「自分も言えるようになりたい」と思うようになり、他人に迷惑をかけた時に「ごめんなさい」と、相手を“尊重”する言葉や行動がとれるようになるのである。もちろん、“承認”についても同様である。