【今回の記事】
秀岳館吹奏楽部はなぜ甲子園応援を選んだのか 「学校圧力」説の真相を顧問に聞く

   熊本の秀岳館吹奏楽部が、甲子園大会の日程と吹奏楽コンクールの支部大会(南九州大会)との日程が重なったことから、甲子園行きが決まった野球部のために、吹奏楽コンクールへの出場を断念した。

   しかし、高校野球の全国大会と全日本吹奏楽コンクールの支部大会が重なることは、何十年も前からあることであり、過去にも、臨時のバンド(OBを募集する、他校から助っ人を頼む、地域の有志を募る等)を編成して甲子園の応援をした学校はいくつもある。
   しかし、その決断は最終的には学校長によってなされるものであるから、校長が、全国放送される高校野球の応援の出来栄えの方を優先させた可能性もある。(正直、世間体を気にした決断を行う校長は多いように感じる)事実、二日間にも渡った職員会議の末、多くの教員が「吹奏楽部はコンテストを優先すればいい。甲子園の応援は残った人間でやればいい。あとは生徒の意向を尊重する」と主張したそうである。少なくとも、吹奏楽部員の方から「吹奏楽コンクールを諦めます」と言い出すことはないはずである。なぜなら、吹奏楽は「吹奏楽の甲子園」と言われるほど熱が高く、そのコンクールを目指して、体育会系よりも厳しい練習を積んできており、「野球部が甲子園に行くことになったので、吹奏楽コンクールを諦めて一緒に甲子園に応援に行ってください」と言われて「はい分かりました」等と、とてもすぐに答えることができる世界ではないからである。なお、吹奏楽部員たちがどんな気持ちでコンクールに望んでいるかについては、本ブログの「全日本吹奏楽コンクール 〜最高の「閉式の言葉」〜」(http://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12188201732.html)を見ていただければ分かっていただけると思う。
   さらに記事の中では、同吹奏楽部が仮に南九州大会に出場してもどうせ全国大会には出れないだろうという“見込み”も、決断の要因になったと書かれているが、子供の可能性を否定的な“見込み”で決めつけることは許されることでは無い。仮に、その見込みを説得の材料に使った教員がいたとすれば、その教員は「教師」を名のる資格は無い。
   また、記事によれば、熊本地震で家の建て直しなどにお金がかかっている家庭があるために、南九州大会への8万円という遠征費用が工面できないことを理由にコンクールを断念した家庭もあるとのことである。しかし、費用面については熊本地震というこれ以上ない特別な事情があったのだから、教育委員会に相談したり、地域に募金をお願いしたり、これも何らかの特別措置の手立てが考えられたはずである。しかし、今回の決定にあたっては、「甲子園大会ありき」という考えでことが進んでいたために、そのような相談やお願いまで話が及ばなかったのではないか。

   部活動は、生徒一人一人がそれぞれの部の目標に向かって毎日練習を重ねている活動である。いくら、野球部の大会が全国大会であるからといって、そのために吹奏楽部のコンクールを犠牲にするなどという事はあってはならないことである。
甲子園が僕らにとってのコンクール」などと言う事は、後から大人が作った美辞麗句にしか過ぎないのである。