【今回の記事】
仏テレビ解説者が「体操日本女子はピカチュウみたい」 「人種差別」の批判受け釈明/リオ五輪

 少し前の話になるが、体操女子団体総合で日本は初の4位となった。この模様を放送していた仏国営テレビでゲスト解説を務めたブーアイ氏は、チームメートと抱き合って喜ぶ日本選手の様子を見て、「まるでアニメを見ているみたい。そこら中に小さなピカチュウがいるようだ」と発言した。この発言に対して「人種差別的だ」との批判が多く寄せられ、謝罪と釈明に追われる事態になっているとのこと。

「もはや「“人”種差別」を通り越している!」「人間をアニメのモンスターに例えるとは何事だ!」
という声が聞こえてきそうである。

   ところで、プロ野球のあの松井秀喜選手は「ゴジラ」という異名をつけられていた。「ゴジラ」も人間ではなく“怪獣”である。しかし、これについては特に「人種差別」騒ぎは起きなかった。

なぜこのような差が生まれるのだろうか。それは、その相手を敬っているかいないかの違いによるものである。
「ゴジラ」と言うニックネームは、松井のバッティングのパワーと迫力を「ゴジラ」というスケールの大きい怪獣に例えた称揚の言葉なのだ。それに対して、フランスの解説者は、第4位という立派な結果を収めた日本選手に対して「そこら中に小さなピカチュウがいるようだ」と「ピカチュウ」という子ども向けのキャラクターで形容したうえに、わざわざご丁寧にその前に「小さい」という言葉をつけている。つまり、日本選手は立派なアスリートであるにも関わらず、「まるで、体が小さい子どものようだ」という意味の馬鹿にした言葉をぶつけたところが問題なのである。その証拠に、普通の幼児に「小さくてピカチュウみたい」と言ってもさほど問題にはならないだろう。真のアスリートとは単に体が大きい選手のことを指すのではない。たとえ体は小さくとも、高い技術と強い精神力を兼ね備えた選手のことを言うのである。フランスの解説者は、自身が元アスリートだったにもかかわらず、最も大切な認識を自分でも気づかぬうちに既に忘れてしまっていたようである。

   私は、担任してきた子供たちにはいつも、「頑張っている人を馬鹿にしてはいけません」と指導してきた。難しいことではない。人間として実に基本的な考え方なのである。