柔道の日本チームの選手たちは、競技後のインタビューで「銅メダルおめでとうございます!」と祝福の声をかけられても、表情は皆曇り、「金メダルを取れなかったので悔しいです。」という返事ばかりが返ってくる。それだけではない、金メダルを取った選手でさえも、「金メダルを取るのは当たり前のことでしたから…。」と、これも晴れぬ顔で表情はさえない。 特に男子はすべての階級でメダルを取っているはずである。日本人としての慎ましさの表れか?とも思ったが、あの落胆の表情はそれではない。大変失礼ながら、あれでは、選手たちから勇気をもらえるどころか、見ているこちらも悲しくなってしまう。

   なぜ日本の柔道の選手たちはメダルを取れたことを素直に喜ばないのだろうか?
   それは、柔道チームにあったある合い言葉のせいだったのではないかと思っている。その合い言葉とは、
金メダル以外はメダルではない
である。
   せっかく準決勝に進出しても、「金メダル以外はメダルではない」という柔道チームの考え方がプレッシャーになり、「これに負けたら金メダルが消えてしまう」という焦りが生まれたに違いない。柔道選手たちに銅メダルが多かったのはそのためではないだろうか。
   
   しかし、果たしてこれでいいのだろうか。
「金メダルを取れなければだめ」という評価観は、結局アスリートと言えど生身の人間である選手たちの体に余計な力を入れることになってしまう。

   このことは私たちにとって決して対岸の火事ではない。「〇〇大学に絶対に入れるようにがんばりなさい!」「次のテストで90点以上取れなかったら承知しないよ!」等と、子供にプレッシャーを与えている親御さんはいないだろうか?
「“ここまで”できなければダメ」と言う到達基準に基づく評価の仕方は、「絶対評価」と言う評価方法である。しかも、その達成を無理強いすると、オリンピックのアスリートでさえ焦りが生まれるのであるから、子どもとなると一層その危険が高まる。

   評価の方法は「絶対評価」だけではない。一体子供の意欲を最も高める評価の方法とはどんなものだろうか?
(次回に続く)