【今回の記事】
日本の行進、先頭に役員ずらり 「選手第一」4年後こそ


   記事によれば、「104番目に登場した日本で、旗手の右代啓祐に続いたのは本部役員の一団。集団の先頭の年齢層がこれほど高かったのは、中国など数少なかった。」とのこと。さらに記事では、「2020年東京五輪で『アスリートファースト(選手第一)』を掲げる日本の行進で、選手を前面に押し出す姿勢が見られなかったのはさみしかった。4年後の行進ではぜひ並び順について考えて欲しい。」と綴ってあった。

    何事にも優先順位があり、「アスリートファースト」と言う言葉が表しているように、オリンピックで一番優先されるべきは“競技者”である。主役であるその競技者を差し置いて、本部役員のお年寄り方が入場の先頭を務めると言うのは、やはり本末転倒のような気がする。
   さらに、その延長線上で言えば、開会式や閉会式での派手な演出は必要だろうか。もしも、あの演出がなくなったならば、オリンピックの価値は下がるのだろうか。そんなことはないはずである。オリンピックが終わった後に、私たちの心に残るのは、アスリートたちの肉体の限界まで挑む美しいまでの競技の姿であるはずである。
   今回特にその思いを強くしたのは、ブラジルの貧困層の人たちの暮らしぶりを見たからである。現実的には、貧困層の人たちが窃盗などの犯罪の温床のように報道されているが、彼らは好きで犯罪を行っているのではない。犯罪をしなければ生きていけないから仕方なく罪を犯しているだけである。開閉会式の派手なアトラクションにかかっている何億円という膨大な費用を貧困層の人たちのために使ってほしい、と強く思った。
   折しも、IOCでも“お金のかからないオリンピック”の実施を呼びかけているのであるから、今後アトラクションはやめて、それにかかる費用を各都市の貧困層の人たちや福祉の充実のために役立ててはどうだろうか。
「アスリートファースト」と「市民ファースト」の両立を切に願いたい。