【今回の記事】
「障害者いなくなればいい」で不安に思った皆さんへ。相模原事件を受けて緊急声明【全文】

   私は、約20年間通常学級の担任をした後、特別支援学級の担任に移り、10年間その担任を続けました。
   始めは知的障害学級を担任しました。そこで出会った子どもたちは、みんなが生き生きと生活していて、私が教える生活習慣をまるで綿が水を吸収するように身に付けたとても心が素直な子どもたちでした。
   翌年、初めて自閉症の学級を担任しました。その中に知的な遅れのあり自閉症の症状の重い男子児童がいました。その子は、5年生として参加する卒業式の練習をしていた時に、急に襲ってきたあの東日本大震災の揺れにも絶対口を開かずに地震の揺れにも耐えました。なぜなら、「卒業式の練習中はおしゃべりをしない」という目標を立てていたので、純粋でひたむきな自閉症のその子は、 急な激しい揺れが起きても、ひたすらその約束を守り通したのでした。
   その後転勤した学校には、激しいストレスのため、何の活動にも取り組めない何も喋れない6年生の男子児童がいました。しかし、「セロトニン5」(本ブログ「子どもをあまり叱る必要がなくなるhttp://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12175965135.html 参照)の支援によって症状は改善を見せ、掃除や委員会の仕事に真面目にひたむきに取り組めるようになりました。また、最後には1時間半の卒業式に学年のみんなと一緒に参加し、おしゃべり一つすることなく立派に卒業証書を受け取りまた。“気をつけ”の姿勢が背筋と指先が伸びていて、挨拶がとても立派な子どもでした。
   その子どもと同じ学年に知的遅れのない自閉症スペクトラムの子供もいました。4年生の時に通常学級での生活に適応できなくなり、特別支援学級に移籍していた子どもでした。その子は、自ら交流学級で学習する教科を少しづつ増やしていき、3学期には教科のほとんどを交流学級で学べるようになった、まれに見る努力家でした。今や中学時代バドミントン部での好成績が評価され高校に推薦入学しています。
   そして、その後担当したのは、知的遅れのある自閉症スペクトラムの女の子でした。その子も指導を受けたことは忠実に実行に移す子どもでした。挨拶はハキハキと、歌を歌わせれば、母親を泣かせたほど感動的な歌を歌う子どもでした。

   途中で、国立特別支援教育総合研究所に長期出張をし、特に自閉症教育についての研修を受けましたが、私にとって“本当の先生”は受け持ったあの子供達そのものでした。あの子供たちは私に「障害というのは、素晴らしい個性である」ということを教えてくれてくれたのです。
   障害は種類によって違う特徴があります。ですから、よさがそれぞれ違います。それぞれが自分のよさに自信を持ち、全ての人がそれぞれ違った色で輝ける社会でありたいと思います。
   報道でも知られているように、障害者施設を襲った植松容疑者にも彼なりのよさはあったのです。ただ、“脱愛着”が加速する今の社会の中で自分を見失っただけなのです。