昨日、TBSの番組「7時に会いましょう」で、尾木ママと息子3人を東大に合格させた佐藤ママとのバトルを見ました。http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160627-OHT1T50154.html(左記URL参照)

2人の言い分はしばらく平行線をたどり、その末に、佐藤ママの息子さんのメッセージを読み上げられ、一応の決着を付けた形で終わりました。

   なかなか議論がかみ合わない理由は、お二人の“目的”が違うためではないかと思いました。佐藤ママの目的は、「我が子を東大に入れること」であるのに対して、尾木ママの目的は、「社会に出たときに通じる人格の確立」だと思います。教育基本法では、教育の目的として、
第1条(教育の目的) 教育は、「人格の完成」をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
と謳っています。学校現場を長く勤めてきた尾木ママは、その事が体に染み付いているので、それが当たり前の感覚として認識しているのだと思います。

   目的が違えば方法も違ってきます。
   尾木ママの目的からすると、佐藤ママのように、親がタイムスケジュールを分単位で細かく決めて、更に子どもの首にストップウオッチをぶら下げさせてそのスケジュール通りに生活させる、という方法は考えられないでしょう。自分のことは自分で管理する力をつけるべきだと思うはずです。
   ところが、佐藤ママの目的は“東大に合格させる”ということなので、合格さえすれば、子どもの主体性を無視してでも確率が高い方法を選ぶのは、ある意味当然と言えるかもしれません。
   しかし、尾木ママは今までに数え切れない程の子どもたちを見てきていますから、「子どもには自分で自分のことを管理できる力がある」ということを帰納的に分かっているのでしょう。しかし、佐藤ママは子育ては3人しかしていないうえに、初めの子に至っては、「子どもに任せたら、だらけてしまうだろう」という自分の憶測しか判断材料がなかったので、徹底的に親の管理によって勉強させてきたのです。
   しかし、他のお母さん方が佐藤ママの実践を読んで、「うちの子も、今のうちから親が管理していこう!」と思うのは危険です。親が子供の受験に一生懸命になり過ぎて、親が子どもを殺したという事件(http://mainichi.jp/articles/20160823/k00/00e/040/191000cも起きています。
   また、いわゆる“過保護”あるいは“支配”状態になって、子どもにあれこれ口を出しすぎたために、自分では何もできない「不安型」愛着スタイルを持った子どもになることも多いです。佐藤ママは、ご自身もお話しされているように「できるだけ穏やかな話しかけ方をしていた」からよかったのです。そのような意識がなければ、「お受験家庭」は危険要素を多分に含んでいます。
   佐藤ママは、「子どもに任せるとだらけてしまう」と考えたようですが、子どもにとっても人生の中でかなり?一番?大切な時期なので、「スケジュールは自分できちんと守ろう」という意欲はもしかしたらかなり湧く時期かもしれませんから、できればその意欲は無駄にしたくないと思います。
   番組の最後に、佐藤ママの息子さんの「母には感謝しています」というメッセージが紹介されましたが、あの感謝の対象は何だったでしょう。佐藤ママのしてきたことから考えると、「東大に合格させてくれたこと」と考えても不思議はありません。しかしこれからは、親の助けなしで生活していかなければならないので、受験勉強という重大な課題を親に管理してもらった分、生活のかかった、または他人の命がかかった重要な実社会では多少苦しむかも知れません。しかし、その荒波を乗り越えて、改めて、「母さんの支えのおかげで立派な社会人になることができました。感謝しています。」と言える人間になってくれることを心から応援しています。