宮城県石巻市で2010年2月、元交際相手の姉ら3人を殺傷したなどとして殺人罪などに問われた当時18歳の元少年(24)の死刑が確定した。
   この少年は幼い頃から親からの虐待に会い、あるときには食事さえも与えてもらえなかったと聞いている。乳児期の言葉も喋れずただ泣くだけしかできなかった頃に虐待を受けると、乳児は想像絶するほどのパニックに陥り、「生きて子孫を残す」ために本能的に親を“危険基地”とみなし、“安全基地”と認識しなくなる。さらに、岡田氏によれば、「愛着は第二の遺伝子」つまり、その人間の一生の人格形成に影響を与えるとされ、「この親は危険な人間だ」と本能的に認識して育った子どもは、それ以後本来ならストレスを癒すはずの安全基地を持たないために、人格はどんどん粗暴になっていく。弁護士が語ったとされる「少年は人間性が未熟であった」というようなレベルの話ではないのである。
虐待は幼い頃のことであって、事件とは関係ない」と考える人と、この点で異なる。もしも、先の「愛着は第二の遺伝子」の考え方が広く知られていれば、判決結果は別の形となっていただろう。
   しかも、加害者は当時少年であった。ということは、少年の監督責任者という立場にあり、しかも幼い頃から虐待を繰り返し少年の心から“安全基地”を奪い取ってしまった親の責任に目が注がれるべきであったと考える。「少年は人間性が未熟であった」ではなく、「親は少年の人間性を未熟にした」が正しいのだ。