韓国ドラマ『おつかれさま』(原題:폭싹 속았수다)
父母の愛が詰まったドラマでした。
韓国の心情文化は、本当に日本で私にとって、常に想像を超えてくる
First Loveを日本語と韓国語ではまったく違う意味がある
日本では、初恋と訳すが、韓国語では、チョッサラン(初愛)と訳す。
日本の初恋は、何か瞬間的な淡い恋、男女の愛を想像する
しかし、韓国のチョッサラン(初愛)は、永遠で不変な男女の愛を想像する
なぜ?韓国のチョッサラン(初愛)は、永遠で不変なのか?それは、男女の愛の根源が父母の愛であり、男女の愛のスタートが父母と子女の愛、親子の愛だからです。
韓国のチョッサラン(初愛)は、娘、息子が父親、母親との間で生まれる愛(心情)が、チョッサラン(初愛)だからです。
日本では、愛してるよ!好き!という表現は、基本、男女の愛を表現する。もちろん、他の対象にも使う場合がある。
しかし、韓国では、おなじような表現で、サランヘヨ(愛します)とい言葉があるが
それは、男女間だけではなく、親にも兄弟にも、ジジババにも親戚にも、友達にも赤ちゃんにも全ての方面に使う言葉である。
家族の愛を表す言葉が、サランヘヨ(愛します)である。
そのため、男女の愛であるチョッサラン(初愛)も、日本の初恋といった若い男女の限定的な関係ではなく、韓国では、多方面、立体的な家族の愛が含まれている。
まさにそのFirst Love(初愛)を男女の愛を超えて、家族愛であり、全てを投入する親の愛を全世界に伝えてくれたドラマが、韓国ドラマ『おつかれさま』です。
これは、スタートは、若い男女の初愛からスタートするが、その愛は、そこから多方面に立体的に広がっていく。
そして、男女の爆発的な初愛は、子供たちへ注ぐ無条件の愛と変わり、子供たちは親への感謝が爆発する。
韓国の初愛は、日本の好きという表現では、到底、収まらない
南北統一は共に生きたいという心情が大切だと私は学んできた。最初、このフレーズを聞いた時、凄く現実的ではないと感じた。もっと、経済基盤、思想、価値観が双方が納得する案が必要だと思った。人の感情で国家が変わるわけがないと思った。
しかし、韓国のドラマを見て、この共に生きたいという気持ちが、世界を動かし、国を動かすのだと改めて感じた。
このドラマをみて、誰もが思うのは、
「私も、こんなふうに誰かと一緒に歳をとりたいな。一生懸命、身もだえしながら、必死に生きたいな。」という思いである。
韓国の家庭文化には、共に生きたいという父母の心情が溢れる構造になっている事は否定できない。何度も韓国のドラマを見て、心の底から湧き出る感情で嗚咽したか分からない。
このドラマの最後のフレーズがとても印象的です。
「너무나 어렸고 여전히 어린 그들의 계절에 미안함과 감사, 깊은 존경을 담아, 폭싹 속았으다」「あまりにも幼く、今もなお未熟だったあの頃のふたりの季節に、申し訳なさと感謝、深い尊敬を込めて。おつかれさま。」
男女の初愛(初恋ではない)からスタートした人生が、全てを振り返る時、お互いに「おつかれさま」と語れるなんて本当に素敵だと思った。
自分の代で、南北統一を情熱をもって進めて成し遂げたとき、最後に夫婦でおつかれさまと言える事が出来たらどれだけ、幸せか!
必死に生きる事の大切さと、なんの為に生きるのかをしっかりと教えてくれる素晴らしいドラマです。
