1995年1月17日 午前5時46分。
今、生きている人も含めて僕の運命が変わった日。
当時、小学6年生だった僕は受験勉強に追われていた@必死
前夜の16日も塾を終え、家に帰り、無理やりその日の復習を親にさせられていた。
そして、勉強を終え、エッチな妄想に駆られてテントを張りながら眠りについた。
その朝。
ものすごい地響きと揺れでベッドの角に頭をぶつけて目が覚めた。
まさか大地震とは思いもしなかった。
未体験が押し寄せてきて、あまりにも長く続く得体の知れない何かに僕は恐怖した。
訳が分からず気が動転していると、親が僕の部屋に飛び込んできて「大丈夫か?!机の下に隠れろ!」と声をかけてきた。
慌てて隠れて、心臓の鼓動を抑える間もなく、おそらく数分。
でかい揺れは治まり、親とおそるおそる1階に降りてみると、花瓶が割れ、食器棚が倒れ、机の物が全部下に落ち、見た事もない光景だった。
大地震や・・・
僕は唖然とするしかなかった。
テレビをつけても、つかなかった。
陽が昇るのをリビングで家族4人で待った。
しばらくして、テレビを何回かつけたり消したり繰り返している内に電線が復旧したのか、復活した。
目に飛び込んだのは、阪神高速の崩壊、全壊半壊している家、炎に包まれる町並み、駆け回る消防隊員達。
凄まじい状況に僕は訳がわからなくなった。
残念な事に、正直、今思い返せばここからの記憶が数日間とんでいる。
能天気すぎた僕の11才の脳みそはすでにキャパ外だったのかも知れない。
あれから、15年。
今、この時間にこうしてこれを書いている事にものすごく意味を感じる。
なぜならば
あの地震がなければ確か1月末に甲南の受験予定日だった。
しかも、前年まで1月15日が受験日だったのが僕の年から2週間ほどずれたのだ。
そして、地震が起こった。
甲南中高の校舎は半壊して、1ヶ月遅れで甲南大学の講義室で受験する事になった。
当時の僕は勉強させられていた感満開だった為、延期になる事にものすごく嫌気がさしていたのをよく覚えている@重みを何も考えてなさすぎ
しかし
もし、前年通りに15日に甲南中高の校舎で受験していれば
もし、地震が起こらずにそのまま1月末に受験していれば
僕は勉強不足などで甲南の受験に失敗していたかもしれない。
しかし、地震は起こり、受験は延期になり、勉強期間が延び、大学で受験をして、僕は合格した。
そして、今。
親のおかげで
甲南に合格したおかげで
最高の友達に出逢ったおかげで
テニスにハマったおかげで
勉強しなくなったおかげで
遊びに走ったおかげで
西口族になったおかげで
なんとか大学生になれたおかげで
岡本を素通りしてパイ山族になったおかげで
そこで数百人の友達ができたおかげで
そこから何年もかけてさらに数百人の人達に出逢えたおかげで
夢を見つける事ができたおかげで
友達を沢山作ってきた事は何1つ無駄じゃなかったと、つながってきた事に意味を感じたおかげで
今日も、そのつながりのつながりの先に出逢った仲間達と撮影やデザインをしてきたおかげで
先ほど帰宅して、今こうしてこれを5時46分に書けている。
もはや、その1つ1つの出来事が他には真似のできない究極の1つ1つで、どれか1つでも欠けていたら未来が変わって、今こうしてこの時間にこれを書けているかもわからない。
全てが大切なポイントで全てが「おかげ」で成り立っている。
そして、何より阪神大地震で亡くなった数千人の人の命の上に今の人生が成り立っている事を僕たちは忘れてはならない。
自分が何気なく過ごした今日は、昨日亡くなった人が生きたいと願った明日である。
一瞬一瞬を大事に。
阪神大震災で亡くなった6434名の方々へご冥福をお祈りします。
感謝。
2009年の黙祷式



今、生きている人も含めて僕の運命が変わった日。
当時、小学6年生だった僕は受験勉強に追われていた@必死
前夜の16日も塾を終え、家に帰り、無理やりその日の復習を親にさせられていた。
そして、勉強を終え、エッチな妄想に駆られてテントを張りながら眠りについた。
その朝。
ものすごい地響きと揺れでベッドの角に頭をぶつけて目が覚めた。
まさか大地震とは思いもしなかった。
未体験が押し寄せてきて、あまりにも長く続く得体の知れない何かに僕は恐怖した。
訳が分からず気が動転していると、親が僕の部屋に飛び込んできて「大丈夫か?!机の下に隠れろ!」と声をかけてきた。
慌てて隠れて、心臓の鼓動を抑える間もなく、おそらく数分。
でかい揺れは治まり、親とおそるおそる1階に降りてみると、花瓶が割れ、食器棚が倒れ、机の物が全部下に落ち、見た事もない光景だった。
大地震や・・・
僕は唖然とするしかなかった。
テレビをつけても、つかなかった。
陽が昇るのをリビングで家族4人で待った。
しばらくして、テレビを何回かつけたり消したり繰り返している内に電線が復旧したのか、復活した。
目に飛び込んだのは、阪神高速の崩壊、全壊半壊している家、炎に包まれる町並み、駆け回る消防隊員達。
凄まじい状況に僕は訳がわからなくなった。
残念な事に、正直、今思い返せばここからの記憶が数日間とんでいる。
能天気すぎた僕の11才の脳みそはすでにキャパ外だったのかも知れない。
あれから、15年。
今、この時間にこうしてこれを書いている事にものすごく意味を感じる。
なぜならば
あの地震がなければ確か1月末に甲南の受験予定日だった。
しかも、前年まで1月15日が受験日だったのが僕の年から2週間ほどずれたのだ。
そして、地震が起こった。
甲南中高の校舎は半壊して、1ヶ月遅れで甲南大学の講義室で受験する事になった。
当時の僕は勉強させられていた感満開だった為、延期になる事にものすごく嫌気がさしていたのをよく覚えている@重みを何も考えてなさすぎ
しかし
もし、前年通りに15日に甲南中高の校舎で受験していれば
もし、地震が起こらずにそのまま1月末に受験していれば
僕は勉強不足などで甲南の受験に失敗していたかもしれない。
しかし、地震は起こり、受験は延期になり、勉強期間が延び、大学で受験をして、僕は合格した。
そして、今。
親のおかげで
甲南に合格したおかげで
最高の友達に出逢ったおかげで
テニスにハマったおかげで
勉強しなくなったおかげで
遊びに走ったおかげで
西口族になったおかげで
なんとか大学生になれたおかげで
岡本を素通りしてパイ山族になったおかげで
そこで数百人の友達ができたおかげで
そこから何年もかけてさらに数百人の人達に出逢えたおかげで
夢を見つける事ができたおかげで
友達を沢山作ってきた事は何1つ無駄じゃなかったと、つながってきた事に意味を感じたおかげで
今日も、そのつながりのつながりの先に出逢った仲間達と撮影やデザインをしてきたおかげで
先ほど帰宅して、今こうしてこれを5時46分に書けている。
もはや、その1つ1つの出来事が他には真似のできない究極の1つ1つで、どれか1つでも欠けていたら未来が変わって、今こうしてこの時間にこれを書けているかもわからない。
全てが大切なポイントで全てが「おかげ」で成り立っている。
そして、何より阪神大地震で亡くなった数千人の人の命の上に今の人生が成り立っている事を僕たちは忘れてはならない。
自分が何気なく過ごした今日は、昨日亡くなった人が生きたいと願った明日である。
一瞬一瞬を大事に。
阪神大震災で亡くなった6434名の方々へご冥福をお祈りします。
感謝。
2009年の黙祷式


