大学=日記という数式
僕の日記には題名がない (今の所)
書かなきゃいけない事は沢山ある。でも書いてない。
それでも僕は書き続ける。意味もわからず。
これは僕にとっての大学を日記に当てはめたもの…
大学に行く目標はない(今の所)
やらなきゃいけない事は沢山ある。でもやってない。
それでも僕は通い続ける。意味もわからず。
こう言われるとなんとなくわかると思います。
僕は自分が人間として未熟だからなのか、他人と視点の違う変人だからなのかわからないけど、始まって1カ月 いまだ大学に異議を見出せていない…
自己目的化という言葉はよく日記を例に説明される。
本来目的を持って書くはずの日記は日が経つにつれ、元々 書くこと自体が目的になる。
意味もなく綴られた日記に意義はなく、振り返ったり、付け加えたりすることほぼない。
これを大学に変えると
本来目的を持って行くはずの大学は日が経つにつれ、元々 行くこと自体が目的になる。
意味もなく通う大学に意義はなく、振り返ったり、使うこともほぼない。
多くの人がわかってるけど、”これが大学” とわけもわからない理由をつけてなんとか卒業する。
もしくは友達と会いに通う。
できる人は書いてるうちにその日記に意味を見出して、タイトルをつける。タイトルのついたその日記はまるで水を得た魚のように指数関数的に様々なモノが拡大していく。
こうなるためには日記を見返し、付け加え、意義のある日記にしようという意思を持つことが不可欠だ。
これは簡単な事ではない。様々に分類された自分の日記を読み返し、その中から自分自身の軸を見つけなきゃいけない。アイデンティティーってやつだろう。
でも僕自身、自分にその気力も根性も感じられない。でも、ある。(アンビバレントというやつ)
必死に醸し出してる。だから外から見れば それなりに見える。
だから辛い。お前はこうだけど俺はこうだ。なんて言われても俺だってそっち側だよ。って感じる事も多々ある。だから虚無感というものを感じる。感じない日はない。
みんなが羨ましい。こんな社会や生き方に適合して、自分を合わせて、自分の軸を探し出せる。僕はどうやら日記のつけ方を間違えたようだ。
将来の目標はある。それに向かってやらなきゃいけない事は山ほどある。
僕は大学を言い訳にやるべき事を避けているのかもしれない… いや。避けている。自分のやりたい事を避けている。どういう事なのか。わからないけど、一つだけ言えるのは毎日が泣きそうになるくらい辛いってこと。
このデフレスパイラルともいうべき状況を打破する方法は一つ。助けを求めること。
世の中に新種の悩みを抱える人なんていないと思っていい。誰かが僕と君と同じ感情を抱いてる。
だったらその人に聞けばいい。
僕はそうしてなんとか生きてる。
ムダ祭り会という自分にとってのアイスの棒が僕という溶けやすく、崩れやすいアイスを支えてる。
多分棒がなければ 今頃崩れて地面に落ちてるだろう。
すごくカッコ悪い。けどこれが僕だから 周りに色々言われても、確かにそうだな。って思うことが多い。
だから、こんな悩みを持ってる人は僕に言って欲しい。ともに悩めるから。