こんにちは ヒーラーのRoseです照れ





今日は亡き父との介護生活について

回想しながら書いていきたいと思います



確か父が1番初めに倒れたのが

たぶん11年ほど前だったと思います



クリスマスの次の日だったかな?



夕飯を食べていた時に急に父が咳き込みました

(おつまみのメンマを食べていました)


なかなか咳き込みがおさまらず

やっとおさまって喋りだしたと思ったら

舌が回ってないあせる



これはヤバい!

すぐ救急車を呼び病院へ🚑



下された病名は



「脳内出血」でした



運ばれている途中から既に意識はなく

担当の先生からは


 

「年内持つか持たないか ですね」


と告られました



インスタの方には

「私のインナーチャイルド 心の傷」

というタイトルで2月に父との苦悩した関係のことは書きましたが

父の破天荒ぶりもこの頃にはかなりおさまっていました



でもお酒への依存が凄かったです



朝からお酒をかなり呑み、

体調を気遣う私の目を盗んでお酒を隠し持っていました




依存性です



なので嫌なこと起きないといいなと

不安感はいつも持っていました




やっぱり倒れてしまったか汗という気持ちです




それから父に付き添う日が続きました


小さかった下の子も一緒に居たいというので

ちょうど冬休みだったこともあり

父のベッドの横に小さな簡易ベッドのようなものを用意していただき

息子とギュウギュウになって寝たのを記憶しています

(息子もしっかり覚えている)



数日すると意識が戻りました




自分の状況が分からずベッドで暴れます

(それはそうだ 装置を外しては困ると手を拘束されているので外したいのです)



一生懸命事情を話して宥めます


でもわからす何か色々叫びます


それでも意識が戻ってくれただけでも嬉しく


「大丈夫だよ」


何度も説明し、話しかけました


でも悲しかったのが

1番初めに聞き取れた言葉が



「ようこーー!」


父の妹の名前でしたアセアセ


娘の私の名前じゃないんかい𐤔𐤔𐤔



そこからしばらく


「ようこー ようこー」


言ってましたね笑


年末まで持つか持たないかと言われていた父が

そこから回復していきました



先生もびっくり‼️びっくり



でも脳のダメージが大きく右半身付随

腕も足も全く動くことはできませんでした



「ようこー」も言わなくなり

私のこともちゃんと認識できるようにもなりました



入院生活は7ヶ月



仕事、釣り、パチンコ以外の事で一生懸命になっている父を知りませんでしたが

リハビリにとっても努力をしました


毎日毎日小さい子がいろんな事が出来るようになっていくように

父も少しづつ良い変化を起こしました


リハビリにかなり熱心な病院で

授業のようにカリキュラム的な感じになっていて

様子を見に行くとどこかの部屋で

何かしらのリハビリをしていました



最終的には右半身はそのまま硬直して動きませんが

専用の靴?みたいなのを履いて一緒に支えてあげると立つことができるようになり

(支えなしでは無理でした)


言語もこちらの言うこともわかり会話もできるように


半身麻痺はもう回復は無理かなと先生から言われましたが

やはりその通りでした





入院生活も後半になり

今後の事を色々決めないと



一緒の頃に同じような病気で入院生活していた人達はだいたいみなさん違う病院に転院の予定でした



私はどうしても家に連れて帰りたく

父もそれを望んでいたので

家での介護に向けての情報収集

(ここでもし兄弟がいて意見の違いがあったりしたら大変でしたね)



介護申請をし、

父は「要介護4」(マックス5)

と判断されました



まずは父の体に合う車椅子作り


背の高い父には通常の介護保険でのレンタル車椅子だと小さくて無理でした

なので父専用の特注です口笛



それと半身不随用の靴

名前なんて言ったのかなぁ? 忘れてしまったんですけど金属の支えが入っている特別な靴です


歩くことは出来ませんでしたが

一応履いた方が楽かなと作りました



あとは父の部屋の畳をフローリングに変更



トイレまで車椅子移動はちょっと厳しかったので

お部屋で済ませられるように

ポータブルトイレの用意



この辺りはかなり介護保険で賄えたので

とても助かりました 

本当にありがたかったです🙏



それからデイサービス探し



完全に半身不随なので家でお風呂に入ることができないことと、

家で見たいと言えども介護ばかりの日々では絶対に持たないと分かっていたので

週5で通ってもらう手続きをしました




諸々の手続きをし

あとは私の介護テクニックの習得です




まずはおしものお世話



オムツ交換やポータブルトイレへの移動



私は意外にも抵抗なくできました

たぶん父も抵抗せず何ともないようにしていてくれたからだと思います


ただ難点だったのが

車椅子からの車の助手席への移動


とにかく父は手足が長いので大変💦💦


半身は棒のように動かないし

私はどちらかというと小柄なので

はじめ看護婦さんからは


「ちょっと1人じゃ無理かも」


と言われていました



いや! やります!


毎回2人がかりだったらお出かけしてあげれる回数減っちゃう💦



何回も練習して

上手くできるようになりました



やっぱりやる前から諦めたらダメですね

できると思ったらできることは増える!



ベッドからの車椅子やポータブルトイレへの移動も

テコの原理でくるっとできるようになりました



看護婦さんも

「うまーい! すごーい!」と褒め上手ニコニコ




私も大変でしたが

父も文句や愚痴も言わず頑張りました



父が片手で頑張って食事をしている時に傍に居たかったので


仕事に行って子供2人家に迎えに行き、

病院に行って父の夕飯が済んだら

また家に戻りここから家族への夕飯、家事

これを繰り返しました



子育て、家事、仕事、通院、介護の勉強

あの頃よく自分でもやっていたなと思います




あの頃の私

(。-ω-ヾ(>᎑<`*)ヨシヨシ💖




長くなりそうなので

退院後のことはまた次に書きます


見てくれてありがとうございましたニコニコ音譜