「小樽運河と石造倉庫群の保存運動」への大方の理解は、次のようなものだろう。

「小樽の経済再生のために運河を埋めて6車線の幹線道路を建設する案に対して、ねばり強い市民運動の結果、半減ながら運河を一部残す案に変更することとなり、その後の小樽の観光振興に大きく貢献した。」

 港湾商業都市としての反映を支えた幅約40mの小樽運河の大半を埋め立て、全長3,550m、6車線の道道臨港線が1966年に都市計画決定され68年に着工。着工を目の当たりにした人びとが「小樽運河を守る会」を1975年に設立し多様な運動を展開。小樽市民のみならず全国的な共感を集めてゆくのを受けて、小樽市は「小樽運河とその周辺地区環境整備構想」を策定した上で都市計画変更し、今ある小樽運河と臨港線の構成で整備した。その後、小樽は港湾商業都市から観光都市へと変貌を遂げ、一時は年間900万人の観光客が訪れることになる。
 市民運動の大成功例。道路建設もでき観光都市化にも成功した。

 僕自身も、それなりに深く理解することとなる10年前・・・それはこの守る会の会長であった峯山冨美さんが建築学会文化賞を受賞され、記念のシンポジウムを小樽で企画することになる2009年までは、漠然とその程度の理解しか持っていなかった。
 この本を読めば、その程度の理解は、「海は青い」との一言で海を理解したと思ってしまうに等しいと気づかされる。

 小樽運河問題とは何なのか・・・・社会学を目指す大学1年生が1984年にこの運動を目の当たりにして衝撃を受け、以来33年間、47回の現地調査を続け、ようやく博士論文、そして本書へと結実させた。その人こそ、2009年以来の友人、堀川三郎さん(法政大学教授)だ。

「街並み保存運動の論理と帰結 –小樽運河問題の社会学的分析-」(東京大学出版会)

 本書は、「なぜ景観を保存するのか」について広範かつ詳細に論点を設定し、小樽運河保存問題を事例として究明してゆく。具体的には、①なぜ,小樽運河を残せと言ったのか(保存の論理) 、②なぜ,運河問題は 10 年近くも続いたのか(対立の構造) 、③小樽の景観は,論争を経てどのように変化したのか(景観変容の実態) の 3 点を徹底的なフィールドワークにより解明することで、それらの論点を考察する。

 建築・都市計画学においては、歴史的建造物を中心とする景観の保存は、その物理的実態の価値評価、保存の必要性の社会的理解の獲得、保存の形態・方法等を主な研究対象としてきたと思う。近年になり「生活景」へ着目し、市民の日常生活の中にある景観の価値を見出し、これを向上・保全するための研究が活発化している。著者は「ある建物や町並みに価値があるのは、人々が価値があると思っていることそれ自体に根拠がある」とし、その根拠を克明に描き出してゆくことによって、この研究の流れに新しい視点を提示する。

 さらに、今日のまちづくりの主要な関心事の一つである、市民にとっての「場所」(place)の本質的意味を解き明かす。すなわち、小樽運河保存運動は、小樽の歴史を表現する単なる物理的環境を守るというものではなく、「自分たちの場所を守る」運動であったことを鮮明に描き出すことによって、市民にとっての景観保存の意味が強力な説得力を持って示されている。
 これは、一連の時間的流れを「都市史」、「小樽市行政にとっての運河問題」、「保存運動にとっての運河問題」と3度遡ることによって構築される巨大な論理構造として浮き彫りにされるのである。

 著者は、小樽運河問題を「小樽という都市の変化を、どの方向へ水路づけ、どのようにコントロールしていくのかが問われた」こととし、都市のガヴァナンスの問題として捉える。この視点からの分析の結果として「保存とは変化すること」であり、その変化を住民主体の自律的コントロールに委ねることの意義を論じ、街並み保存の本質的な意味と、都市空間制御の新たな展望を提示する。このことは近代都市計画が成し得なかったことだ。
 
 近代都市計画が成し得なかったことの証左は、まさに小樽にあることを著者は指摘する。すなわち、運河周辺の建物の経年変化と土地所有の変化を丹念に追うことで、「土地が法人所有となり、小売店舗化・土産物店舗化してゆくことにより、小樽の『観光資源』である景観自体が大きく変化している」ことを明らかにし、結局「小樽は、自らが守ろうと闘ってきた景観自体を失っている」と結論づける。このことを「終わりの始まり」とまで厳しく指摘しつつ。

 運動の当事者たちへの膨大な時間のインタビュー、数千ページの行政資料の精査など、気の遠くなるような量の詳細資料を一つ一つ丹念に読み込み、そこから立ち上がってくるそれぞれの「論理」から、運河問題というテーマを解釈し尽くしていくのは、少し格好付ければまるでバッハのゴールドベルク変奏曲のようだ。
 この作業を通してこそ、一見青く見える海の、広さと深さ、その中の複雑さと多様さを俯瞰的に描き出すことに成功しているのだ。

 とても恥ずかしい白状をすると、札幌市勤務時に景観行政を担当した時期もあったにも関わらず、僕自身、「都市の景観」についての価値の軸、あるいは論理、こうであるべきだと思える自信・・・何も持つことができないで来た。この本を丹念に読むことによって、その一端をつかむことができた。その意味で第一級の教科書。僕の都市計画の師が一人増えたとまで感じている。

 本文だけで400ページに及ぶ本書は、街並み保存、市民参加(運動)、景観、空間と場所、公共空間などなど、まちづくりの主要テーマに少しでも関心がある人であれば、適当なあるページを開き、適当な行から読み始めたとしてもグイと惹きこまれてしまう。それほどの筆力、吟味された文章で書かれている。難解な文章など1行もない。

 都市社会学を専攻する人のみならず、都市・建築に関わる人びとに永く読み継がれる名著となると確信している。

 8640円もする本ではあるが、学生の皆さんには自分で買って、鉛筆で線を引き書き込みをしながら精読することをお薦めしたい。その値段の何倍も得るものがあること請け合いです。

UTP.OR.JP

町並み保存運動の論理と帰結 - 東京大学出版会