亡くなってからちょうど10年経った命日を

 

神式では「十年祭」って言うんだって。

 

馴染みのある仏式では10年目の法要はないし

 

十年祭ではねえ

 

しんみりした感じがしないから

 

「10年命日」としちゃった。

 

 

 

10年前の8月26日に

 

しんのすけさんという男性ブロガーが自死を選んだ。

 

もう10年も経ったのだから

 

ハンドルネームを伏せなくてもいいよね?

 

彼が残したブログは検索してもヒットしないの。

 

ネットの荒涼とした海の底で

 

誰にも見つからずに眠っているの。

 

 

 

 

私がしんのすけさんの自死を知ったのは

 

彼が亡くなってから1ヶ月以上も経った、その年の10月4日。

 

そのときの慟哭をここに書き殴っていて

 

ついさっきまで、限定記事にしていたのだけれど

 

リンクを貼るために公開するね。

 

 

 

 

 

 

しんのすけさんは私よりも少し年下で

 

パグを飼っていて

 

私と同様に、ペットブログ熱に冒されていたときに

 

オフ会に積極的に参加をしていたひと。

 

私は数回のオフ会参加で

 

愛犬に無理を強いてしまうオフ会や

 

つるむ連中の多さに辟易して

 

ペットの(大規模な)オフ会に疑問を投じていて

 

同じタイミングで、しんのすけさんも

 

パグのオフ会に疑問を呈していて

 

だから

 

私たちは出会うべきして出会った。

 

しんのすけさんは、遠方に住んでいたから

 

もちろん私たちはネットの中のつながりだけだったけれど

 

何通ものメールで心を伝えあって

 

私の当時のブログが危機に陥ったときに

 

しんのすけさんが自発的に援護射撃の記事を書いてくれたり

 

たぶん、私たちは

 

擬似的に恋愛関係にあったのかもしれない。

 

 

 

 

私はたぶん

 

たとえブログ上の関わりでも

 

好きなひとは好きだし

 

嫌いなひとは嫌いだし

 

好きなひとのブログなら、何が書かれていても嫌いにならないし

 

だけど、嫌いなひとのブログに同じことが書いてあっても

 

受け入れられない。

 

 

 

嫌いと好きの判断は

 

これと言って明確なものはなくて

 

感覚的なのも。

 

 

私は同調圧力や押し付け(同じだね)を

 

いちばん嫌うので

 

たぶん

 

自分の気持ちを押し付けないひとを

 

感覚的に好きになるのだと思う。

 

 

 

 

しんのすけさんは

 

そういうひとだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しんのすけさん直筆の手紙を

 

私はまだ捨てずにいる。

 

きっと、死ぬまで捨てないと思う。

 

 

 

 

 

私が最後に送ったメールは、彼が死んでから届いたのだし

 

私の存在が、彼の「生きること」には

 

なんの役にも立っていなかったから

 

せめて

 

あの頃の彼と関わりを持っていた他のブロガーたちが

 

彼をすっかり忘れていても

 

私だけは忘れずに

 

命日くらいは、記憶の掘り起こしをしても

 

いいかなって。