昨夜は月食だった。

しかも11年振りに皆既月食になるという。

好天に恵まれた太平洋側の各地で見られるということだったので

時間を見計らって

一眼レフに三脚を装備して2階のベランダに出た。





星たちの詩が聴こえる。

リビングの掃き出し窓から出て空を見上げる私の丁度真上に

青白く光る欠けた月の姿があった。

12月の夜空の下は痺れるほどに寒くて、吐く息が瞬く間に白く変わる。

さっそくリビングに戻り、部屋着の上にジャージを羽織り

また外に出て、三脚を立てカメラをセットした。

そのまましばらくの間、刻々と姿を変える月をファインダー越しに見ていた。

部屋着の上にジャージを羽織っただけの身体が芯まで冷えて

歯がガチガチと震えて止まらない。

また室内に戻り毛布を手にベランダに引き返し

毛布にくるまって空を見上げた。





冷たい空気を通して地上に届く月の光は白く明るく

眩く輝いていた。


星たちの詩が聴こえる。

やがて地球がすっぽりと太陽と月の間に入り光を遮ると

月の光は白から温かなオレンジ色へと変化する。





生まれてからこれまでに何度、月食を見ただろう。

一番最初の記憶は10歳だった頃に遡る。

両親が現在の私の歳よりも若くて、まだ二人とも生きていて

私は学校の宿題で月食の観測を命じられてしまったために、

刻一刻と変化する月の姿を和室の窓から眺め、

母の出してくれたテーブルの上で画用紙にその姿を書き留めていた。

その月食の夜は

ススキが飾られ、蒸かした芋と栗と母のこしらえた大きなおはぎが

宿題をする私のちょうど真正面にあった。

月食の夜と中秋の名月を祝う夜が、同じ夜だったなど

まったく有り得ない話なので

きっと後から、別の記憶とごちゃまぜになって

自分で作りあげてしまったのであろう。

けれど、この記憶が私の中にある一番最初の月食の記憶なのだ。

だから、月食を見る度にこの光景が頭の中に蘇る。




宿題と色鉛筆と画用紙とススキと芋、栗、大きなあんこのおはぎと

若かった父と母と、そして幼い私と姉と。





星たちの詩が聴こえる。

月食の記憶に想いを馳せていたら

故郷の懐かしい風景に想いが至ってしまった。

幼い頃の私を思い出す時に石巻の風景が頭を過ってしまうことは

仕方のないことだけれど

月の妖しい光が昨夜の私の心を余計に故郷へと誘ったのかもしれなくて

そして、それが悲しかった。



冷たくなったつま先を手で温めながら故郷を想う。



幼稚園の帰り道、モンシロチョウを追いかけたキャベツ畑や

道草を食いながら蛙を追い、おたまじゃくしを掬った田圃や

腰までの高さになった青い稲のあぜ道を、親戚の家に行くために

ギラギラ燃える太陽の下を汗をかきながら歩いた暑い夏休み。

どこまでも青い空。

入道雲。

渡波の海水浴場と松原と、浮き輪のぶら下がった土産物屋の軒下や

工業港の岸壁まで自転車を走らせて、水辺で遊んだこと。

雲雀野の荒れた海や、高校の1歳年上のボーイフレンドと

一緒にテクテク歩いた運河沿いの道。

桜の花の咲く日和山の賑やかなお花見の人混みと

山から見下ろした太平洋と北上川と河口に広がる町並みと。




海はどこまでも広くて青くて丸くて。

海の見える、海のある町に生まれて住んでいたことが

誇りだった。






星たちの詩が聴こえる。

毛布に包まりながら

つらつらと、そんなことを想いながら月を観ていた。



「悲しい。」が夜空を泳ぐ。



ファインダー越しに観るのを止め、自分の目で直接月を仰ぐ。

涙というフィルターを通して見た月は

先ほどまでの温かなオレンジ色から、氷のように冷えた緑色に変わった。

キラキラと輝いていた故郷が

荒涼とした大地に変わってしまったことを

まるで月も悲しんでいるかのように

暗く深く静かな夜になる。






星たちの詩が聴こえる。

たくさんの苦しみやたくさんの悲しみが

夜空を飛び交う。





そして月の涙がひとしずく

悲しく光る。






星たちの詩が聴こえる。

次に月食を見るのは3年後だ。



3年後の月も今夜の月と同じように

たくさんの悲しみを受け取って、

深く冷たい緑色になり、光を止むのだろうか。

願わくは

人々の嬉しい楽しいを受け取って

温かなオレンジ色の希望の光で輝く月であって欲しい。

そしていつまでも、止むことなく夜空に輝いていて欲しい。