3日目は、南部を回ることに。
「グラスボートに乗る」のが絶対外せないポイントで、あとは世界遺産だから「斎場御嶽」に行ってみうようか~とゆるい予定で、出発です
奥武島(おうじま)グラスボートで海中探索。おじさんの解説がなかなかグー でした。
斎場御嶽へ。駐車場で、こんな大きなアゲハを発見
朝の空気が心地よく、哲ちゃんも石畳の道を歩くのが楽しそうでした~
このあと、二ライ橋カナイ橋を渡り「カフェくるくま」へ。
人気店らしく多少待つけれど、海の眺めが最高で、待ち長さを感じません!!
このあたりは、リーフ(環礁)に囲まれていて、手前は浅瀬でエメラルドグリーン、奥は青、とくっきり色が変わるのが特徴です。
タイ料理がおいしくて、(後で知ったけどタイ人シェフがいるらしい。どうりで)パパが頼んだグリーンカレーと、こどもたち用に頼んだタイ風ラーメンがすごく美味しかった
お昼を食べたら、この後どうしようか?ってなって、パパが一度見てみたかった「ひめゆりの塔」に行くことに。
その途中で「平和祈念公園」にも寄っていくことにしました。
当初「おきなわワールド」にでも行こうかって言っていたぐらいで、戦争関連は重くなりそうだし、こどもが退屈するから今回はやめとくかな~と思っていたんだけど・・・行ってよかったと思いました。
平和祈念資料館で初めて知った沖縄戦は、想像を絶する悲惨さでした。
沖縄は、日本で唯一地上戦が行われた土地で、この戦いはまったく勝てる見込みはなく、ただ米軍の日本本土上陸を一日でも遅らせるための時間稼ぎにすぎなかったこと。その時間稼ぎのために、20万人を超える人が亡くなったこと。死者のうち、軍属は3万人足らずで、大多数は民間人だったこと。
戦闘で死んだ人より、餓えやマラリアで死んだ人のほうが多かったこと。などなど・・・
米軍の沖縄上陸作戦が始まったのは1945年3月下旬で、(記憶がうろ覚えだけど)今はリゾートホテルが立ち並ぶ中部・読谷村のあたりに上陸し、そこからわずか1週間で北端の辺戸岬に到達、それから3日後には東端(海中道路のあたり?)に到達し・・・と、あっという間に、読谷以北は制圧して、南進を始めたということだった。
南進が始まった4月から、7月の沖縄戦終結までの3ヵ月間、どんな地獄絵図が繰り広げられたのかは、生存者の証言に詳しく、そこには本当に驚くことが書いてありました。
一番、衝撃を受けたのは、ガマ(自然洞穴)に避難していた住民・軍人の中に、親とはぐれた4~5歳の男の子がいて、その子供を日本兵が始末したのを見たという証言。こどもが泣くと米軍に見つかるから、という理由で。
私がその証言を食い入るように読んでいるさなかにも、健ちゃんは退屈して「ねえ!もう行こうよ~!早く行こうよ~!」とうるさくしてて、あぁ確かに4~5歳の子は騒がしい!!と思いました。そのことで命を奪われる恐ろしさを、ひしひし実感しました。
平和の礎(いしじ)の前に広がる太平洋は、今まで見てきた海の色と違って、深い悲しみをたたえているかのようなブルーだったのが、印象的でした。
平和祈念公園をじっくり見すぎて?ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館は時間切れで閉館間際に駆け足でみた感じに・・・
子どもたちは本当に退屈してて、申し訳なかったけど、大人が見たくて、見てよかったと思えた南部戦跡でした。
那覇に戻り、夕飯を食べたあと国際通りをウィンドーショッピング。
夜だけど、ベビーカーを押した家族連れは結構いました。
ゴーヤーのベンチを発見