パパへ

20年間何不自由なく育ててくれてありがとう。

本当に感謝しています。心から。

 

ただでさえぐっすり寝られないパパにこんな話をするのは良心が痛むけど、

今日は20歳の誕生日だから許して。

 

行きたかった留学にも来て、大学にも合格してもう不安なことは何もないのに、

めでたい20歳の誕生日なのに、なんでこんなに暗い気持ちなのか、

朝目覚めるのが嫌で嫌で、明るくなった頃寝るのか、本当はもうずっとわかってたよ。

 

子供の泣く声を聞くと、小さかった頃、泣いても泣いても誰も助けてくれなかったあの頃の気持ちがなぜか湧いてくるから。

夕方になれば、不安になる。夜が来るから。昔よく泣いたのが夜だったから。

ピアノは好きだけど、大嫌い。あの頃を思い出すから。

ネットで素敵な親子エピソードを見れば、悲しくなるよ。

逆に毒親エピソード聞くと、自分の気持ちがわからなくなる。ネットに出てくる毒親たちの方がひどくて、自分の親はまだマシだと思うから。

 

タチの悪いところはそこだよね。叩くなら、もっと傷が残るまでやってくれないと。

ご飯を与えないなら、倒れるまでそうしてくれないと。

閉じ込めたり、追い出したりするなら、もっとやってくれないと。

そうすれば、警察にでも行けたのに。誰かが気づいてくれたのに。

「記憶」っていう一番中途半端な傷は、どこに訴えたらいいんだろう。

 

それから、今まで「恵まれてるね」っていう言葉を聞くことの多い人生だったよ。

誰かと比べれば恵まれていることが多いみたい。

家族みんなが笑っている時、美味しいものを食べている時、学費と生活費が口座に振り込まれていた時。

自分はすごく幸せなんだと、恵まれているなと実感するよ。

ただそう思うたび、それから恵まれているねという言葉を聞くたびに、

自分は恵まれているんだから、この悩みは贅沢な悩みなんだ、という考えも浮かんできて。

私にとって幸せな記憶と辛い気持ちは、いつも同時に来るものだよ。

 

ただ、過去に縛れても過去は変えられなくて。

それから17歳の誕生日にママがごめんなさいと書いた手紙を渡してきた。

謝ってきた人を責めるのも違うじゃん?

ただただ、過去を忘れることができたらいいのに。

だけど、子供は泣くし、毎日夜は来るし、ピアノの音を聞く機会だって多いのにどうやったら忘れることができるのかな。

 

最後に、なんでこんな話をパパにするかって、一人で抱えているのに限界が来たからかな。そしてそんな時に相談できる人がいないから?

だからと言って、ママに話したら泣いて謝ってきそうで、そんなのを見た日には本当に、この気持ちが軽蔑に変わってしまいそうで。

最初は縁を切りたいって思ったけど、縁を切ったところで辛いのは変わらないから、縁を切るにはあまりにも今の環境が恵まれているから。

これからも使えるときは使って有効活用して、憎む時は憎んで、そうやって過ごすつもりだよ。

 

パパはただ知っていてくれればいいよ。

今までそうだったように、なんの口出しもせずに。

 

これからもよろしくね。