咲き乱れる花と、風渡る草原の緑。
それはあの時と寸分違わず、そこにある光景。
変わったのは成長したお互いの姿、変わらないのはその心。
あの頃と同じ気持ちは今も胸に。
「アシュヴィンはあの時が初対面だって言ってるけど、本当はね、初めて会ったのはもっと昔なの」
秘密を打ち明けるように僅かに声を潜め、けれどどこか楽しげに千尋は言う。聞き手のリブはその告白に興味を持ったのか、彼が淹れたお茶を美味しそうに飲む千尋に茶菓子を差し出しながら問いかけた。
「よろしければ、そのお話を聞かせていただけませんか?」
「いいよ。でもアシュヴィンには、気付くまで内緒ね」
唇に指を立て、悪戯っぽく笑う千尋は、リブに応えて記憶を手繰り始めた。
それは夏も終わりに近い頃。
母に叱られ、采女たちに陰で笑われ、居た堪れなくなった千尋はその日、橿原宮に程近い場所にある王族の所領へ一人、足を運んだ。春は花に、夏は緑に溢れ、秋になれば一面金色の海となるその場所は、千尋にとって唯一の「家出先」であったかもしれない。座ってしまえば背丈よりも高くなる草花に埋もれて泣いている千尋を、どうやってか毎回必ず風早が見つけ出してくれた。だから今日も、見つけてくれなかったらという一抹の不安を抱えながらも、千尋はここに来ずにはいられなかった。風早が見つけてくれたときの、存在していていいんだという安心感を得たいがために。
けれど今日は、いつもと少し違っていた。
「……誰か、いるの?」
誰かが来る気配がして、涙を浮かべたままの目で周囲を見回すと、草を踏む音と共に背後から影が差した。どうやら風早ではない。その事実に少し怯えながら、千尋はそろりと顔を上げて真上に視線を向けた。傾き始めた陽の光が逆光となってはっきりとは判らなかったが、真後ろに立ち千尋を見下ろしていたのは風早より少し年下と思われる少年だった。少し暗い、けれど落ち着いた赤い色の髪が、光を受けて鮮明になる。まともに視線を合わせることになった二人はお互いに驚き、目を丸くした。
「こんなところで何をしている?」
少年は開口一番そう訊ねた。許可なく立ち入りできる場所ではないこの場にいる少年に対し、逆に千尋が問うべきことなのだが、少年の服装が豊葦原の者とは違うことに気付いたため、その考えは置いておいてとりあえず素直に少年の質問に答えることにした。
「かくれんぼ、してたの」
「かくれんぼ? この場にはおまえとおれしかいないのに? 鬼はどこだ?」
「鬼は……いないよ。誰かがみつけてくれるまで、ここにいるの」
言ったきり膝を抱えて伏してしまった千尋をどう思ったのかは解らないが、少年は小さく息をつくと千尋の隣に座った。特に何をするでも、話すわけでもない。けれど隣にあるその空気はぶっきらぼうでも心地よく、千尋はいつの間にかその少年に、胸につかえていたこと、溜め込んでいた不安や悲しみをぽつぽつと打ち明け始めていた。
「母様は、姉様しかいらないんだ。わたしは役立たずだって、みんな陰で言ってるの、知ってる。髪もこんな色で、だれにも似てない、できそこないだから」
「へぇ、そんなこと言う奴がいるのか。髪も瞳も、こんなに綺麗な色なのにな」
目に溜めた涙を懸命に堪えている千尋の髪を少年は掬った。光を受け、眩しいくらいに輝くその髪は、例え異端であっても見事という他ない。返された言葉に驚いて、食い入るように少年を見つめる千尋に、彼は首を傾げる。
「おまえには、おまえが大事だと心から言ってくれる、心配してくれる誰かはいないのか?」
「……ええと、姉様と風早だけは、わたしを探してくれるよ」
少し考えて出されたその答えに、少年は悪戯っぽく笑った。
「なんだ、いるんじゃないか」
「そうなのかな」
「そうだ。それにな、きっとその二人はおまえを裏切らない。守ってくれる存在だ」
「守って……? ねえ、あなたにもそんな人いるの?」
ふと気になって千尋が隣を見上げると、少年は面食らったように口をつぐむ。けれどすぐに嬉しそうな、誇らしげな表情になり大きく頷いた。
「いるよ。だからおれも、いつか守れるようになるんだ」
瞳を輝かせた少年は千尋から視線を外し、そのまま空に転じた。夕暮れも近い空は、薄い青と光を受けた雲がたなびく。天上を見つめながら、ぱたんと仰向けに転がり大きく息を吐いた。
「あーあ、誰もいらないなら、おれがもらって帰ろうと思ったのに」
「え? なにを?」
「おまえを、だよ。連れて帰って、おれが知ってる綺麗なものとか楽しいこと、全部教えてやるのにな」
少年の言うそれがどんなものかは判らない。けれど千尋は少し、少年の言うものを見てみたいと思った。同時に心に何かが宿ったのを感じる。温かい、嬉しい気持ちにさせる何かが。姉と風早以外で初めて自分を認めてくれた人は、千尋の中で既に無視できない存在感を放っていた。
千尋の内面の変化に気付いたはずはないのに、少年は不意に身体を起こすと千尋の顔を覗きこんだ。
「そうだ、もしもおまえが今より大きくなって泣いてなかったら、その時にたくさんのものを見せてやることにしよう」
「ほんと?……また会えるの?」
「ああ、会えると思っていれば会える。約束する。だからもう泣くな」
屈託なく笑い、涙を拭ってくれた少年に、千尋は自然と笑顔を向けることができた。出会ってから漸く見せたその笑顔に、少年は満足そうに頷き、ふと耳を澄ますとゆっくり立ち上がった。つられて千尋も立ち上がる。
「どうしたの?」
「迎えが来たみたいだ。おれはもう行く、けど忘れるなよ」
「うん、約束だね」
忘れない、だからあなたも忘れないでね。出掛かった言葉を飲み込んで見上げる千尋の頭を軽く撫でると、少年は名を呼ぶ声の許に走って行ってしまった。
(そっか、あのひと、アシュヴィンっていうんだ……)
お互いに名乗ることもしないままの約束だったけれど、胸の奥は温かいまま。撫でられた感触を惜しむように両手で頭に触れ、はにかんだ笑みを浮かべる千尋のもとにも暫くすると迎えが現れた。
「こんなところにいたんですね、探しましたよ」
「ごめんなさい。ありがとう、風早」
声をかけた風早はおや、と思った。いつもなら悲愴な顔で自分にしがみついてくる二の姫が、こんな場所に隠れていたというのに今日は何故だか上機嫌だ。
「どうしたんですか? 何か嬉しいことでもありましたか?」
優しく微笑む風早に抱き上げられ、高くなった目線でじっと彼の顔を見つめていた千尋だったが、やがて彼の首にきゅっとしがみつくと晴れやかに笑った。
「ないしょ! おしえないよ!」
「おや、意地悪ですね。一体なにがあったんですか?」
「だから、ひみつ! 約束だから」
これはあのアシュヴィンと呼ばれた少年と自分だけの約束だから。千尋は彼と彼の言葉を心にそっと刻みつけ、温かい気持ちを大切に胸にしまった。
「それから数年後、橿原宮が落ちて私は異界に渡って、いろんなことが重なって昔のことがずっと思い出せなかったんだけど……思い出せてよかった」
「そうでしたか。それはアシュヴィン様とナーサディア様がお二人で中つ国を訪問していらした時ですかね?」
「うん、多分……って、あ、噂をすれば、ね」
庭に面した木陰でお茶を飲む千尋目指し、一直線に回廊からやってくるアシュヴィンの姿が見え、二人は一度顔を見合わせた後、小さく笑って口を閉ざした。やってくるなりテーブルに置かれた菓子を一つ摘んで口に放り込んだアシュヴィンは、千尋の向かいの椅子を引いて座る。
「なにやら楽しそうだな、二人とも。何を話していたんだ?」
「あ、なに? やきもち? 心配しなくても、ちょっと昔話をしてただけ」
「別に心配もなにも……昔話? 誰の?」
「私の」
聞いたアシュヴィンは面白そうに身を乗り出した。リブの差し出したお茶を飲みつつ千尋を見据える。
「俺も聞きたい。話せ」
「ふっふっふ。だめ、教えない。どうしても知りたかったら、少しでもいいから思い出してみてよ」
含み笑いと共に告げられた言葉にアシュヴィンが怪訝そうな顔をしていると、その間に千尋はリブに礼を言ってさっさと立ち去ってしまった。引き止める間もなかったアシュヴィンは、機嫌を損ねて立ち去ったわけではないため千尋はそのままに、照準をリブに合わせた。話の内容を聞き出そうとする主の視線に耐えられず、リブは斜め上の方向に視線を泳がせている。
「なんだったんだ? 俺に何を思い出せって?」
「それはですねぇ……陛下が昔、中つ国を訪問したときのことを……」
アシュヴィンには内緒だといわれたが、思い出せと本人が言ったのだ、ヒントを与えるくらいはいいだろう。そう判断したリブの助言をアシュヴィンは頭の中で反芻した。昔、中つ国を訪問したときなにがあったか。記憶の端で何かが引っ掛かる。が、それは一体何だろう。
「……あの時は勝手に出歩いたから、後でサティに叱られたな。出かけた先で金色の……ああ、あれは千尋か!」
頭の中で何かが一致したのだろう、声をあげたアシュヴィンはぱちんと指を鳴らした。次いでリブへと視線を移し、話題を戻す。
「それで、千尋と何を話していたんだ?」
「……それはご本人に聞いてください」
弱ったように頭を掻いてリブが躱すと、彼の主はお茶を一気に飲み干し、仕方ないといった風に立ち上がり回廊の奥へ消えた。
「いやあ、仲睦まじいことで……」
残されたリブはテーブルの上を片付けながら苦笑した。
なんとなく出歩いた先にまさか人がいるとは思わなかった。草花の合間にちらちら見える金色の光が人の頭とは。涙が溢れる大きな蒼い瞳と目が合った瞬間、視線が逸らせなくなった。沈んだ表情を浮かべる少女の笑顔をどうしても見たくなったのだ。
「思えばあの時から捕らわれていたのかもしれないな」
最後に見せた笑顔は、6つも年の違うアシュヴィンを鮮やかに惹きつけた。無垢で純真な、その心根のままに。
遠い昔を思い出しながら回廊を歩くアシュヴィンは、自然と足を碧の斎庭へと向けていた。鮮やかな緑が眩しいその場所に、予想通りの姿を見つけて声を掛ける。
「やはりここにいたか、千尋。……ここはあの時の草原にどことなく似ているな」
「アシュヴィン……思い出したの?」
振り返った千尋に彼は頷く。それを認め、千尋は満足そうに笑った。
「あれから頑張って泣かないようにできるだけ我慢して、今の私ができました!」
「今のお前は強すぎるくらい強いかと思えば、脆く泣き出すから手に負えんな」
「あ、そんなこと言う? 人が一生懸命頑張ったっていうのに」
「貶しているわけじゃないさ。俺にしか相手を務めるのは無理だという意味だ」
「そうそう、アシュヴィン以外に誰もこんな面倒な人間の伴侶になんてなってくれないよ」
くすくす笑いながらゆっくりと歩き出す千尋に並ぶと、アシュヴィンは花々に目をやりながら小さく呟いた。
「今も昔も変わらず、か……」
「なにが?」
聞きとがめた千尋が足を止めてアシュヴィンを振り仰ぐ。けれど彼は足を止めず、彼女を追い越して答える。
「俺はどうやら、千尋の涙にはどうやっても勝てないらしい」
初めて会ったときは、笑わせてやりたかった。そして今は、千尋の涙を見るとどうすればいいのかわからなくなる。
歩みを止めないアシュヴィンに追いついた千尋は、彼の顔を覗きこんで悪戯っぽく笑った。
「じゃあなにかあるたびに泣いていれば、アシュヴィンは言うことを聞いてくれるのね?」
「涙が嘘だとわかった場合の覚悟をしておくならな。……泣かないとあの時、言わなかったか?」
「時と場合によるのよ。あ、ねえ、あの時の約束!」
声を上げてアシュヴィンの腕を引いた千尋は目を輝かせていた。幼い頃の、色褪せかけた記憶の中の約束。その履行を迫る彼女の手を腕から外し、しっかりと握り合わせるとアシュヴィンは周囲を見渡した。
「お前に俺の知る綺麗なものや楽しいことを教えるという約束か。覚えてるさ。この景色もその一つだ」
平和を取り戻し、荒廃していた常世の国は恵溢れる豊かな土地へと変わった。アシュヴィンの知る幼い頃の、在りし日の姿に。この美しい情景も、彼の自慢の一つだった。
「もう少し先に夕日の美しい場所がある、そこへ連れて行ってやろう。毎日、少しずつ教えてやるよ。お前が音を上げるくらいにな」
手を引かれて歩きながら、千尋は夫となった人の大きな背中を見つめた。手の中には安心できる温もりがある。泣いてばかりいた幼い頃、胸の奥に光をくれた人。また会いたいと願いながら半分諦めていた。一緒にはいられない、戦うしかないと悩み苦しんだ時を経て、今こうしていられることがどんなに嬉しいか、きっと彼は知らないだろう。
「……私も、少しずつ教えてあげる」
「何をだ?」
「秘密! そのうち、ね」
時間はたくさんある。
これから二人で共に過ごし、いろんなことを共有して、どれだけ大切に思っているか、好きでいるかを伝えてあげよう。
それこそ、彼が音を上げるくらいに。
+++++
遙かなる時空の中で4のアシュヴィン×千尋でした。
凶悪なくらい長い。
長いから分けようかと思ったけど一本で。
色々言い訳したいところですがやめます。
だってきりがないよね。捏造具合とか。
だから、いろいろ目を瞑ってください。
あー楽しかった!
また書いてもいいですかね?(誰に聞いてるんだ)