2009年5月 退社
2009年6月から自宅療養
しばらく書いていなかったので、ここしばらくの流れを振り返ります。
2009年5月、
2回目の休職期間が満了し、
復帰できないのであれば会社を辞めるしかないという
二者択一の選択肢を会社から突きつけられてしまいました。
うつの症状は相変わらずでアップダウンが激しく、寝込みがちだったので
旦那は迷いぬいたようですが退職する方向で話しを進めました。
2009年6月、
会社と切れたことで少しふっきれたような空気を感じました。
調子の良いときは、会社と縁が切れたことを喜ばしく話す旦那がいたからです。
2009年7,8月
子供たちは夏休みに。
小学校のプール、幼稚園のプール保育の付き添いと休みの前半は定期的にでかけることが
多く、家の空気はよどまなかったように思います。
友達宅とのキャンプも、半うつのまま旦那は参加することになってしまいましたが
うまくやり過ごせた(?)ような感じでした。
夏休みの中盤から後半にかけて、うつが悪化しパソコンから逃げ回るようになっていきました。
午前中起きて再び朝寝、昼すぎは昼寝、夜はテレビに飲酒で、早めに就寝。
四六時中寝ていることが多く、見ている方はイライラが募る時期でもありました。
それでも子供に影響を与えないよう、プールの夏期講習へ行かせたり
習い事へ出かけさせたりと、寝ている旦那を目の当たりにしないよう
普通に過ごすよう心がけていました。
9月
ダウンしている時期が多く、寝すぎとしか思えないような日が続きました。
薬の副作用に負けているんじゃないかと疑いがでてきたのは
このころからでした。
10月
旦那は日々ねたきり。ご飯は食べるけれどエネルギーがなく背中も痛がる。
うつの状態は一向に良くなる兆しがなくこちらもめいってきてしまいました。
治療を始めた頃と今を比べると状況は変わったけれど良くなったとは言えない。
むしろ先が見えない暗く出口のないトンネルに迷いこんで、お先真っ暗という言葉が
ぴたりとくるほど、状況は悪化していました。
投薬治療を始めて6年が経過していました。
祖母が昔、うつを煩い周囲からも奇異に見られる程だったけれど、薬をやめることで劇的に回復したと聞きました。
旦那もたくさんの抗うつ剤を飲んでいます。
ここは薬をやめたほうがいいのではないか。。。?
そして断薬をはじめたのです。
2009年6月から自宅療養
しばらく書いていなかったので、ここしばらくの流れを振り返ります。
2009年5月、
2回目の休職期間が満了し、
復帰できないのであれば会社を辞めるしかないという
二者択一の選択肢を会社から突きつけられてしまいました。
うつの症状は相変わらずでアップダウンが激しく、寝込みがちだったので
旦那は迷いぬいたようですが退職する方向で話しを進めました。
2009年6月、
会社と切れたことで少しふっきれたような空気を感じました。
調子の良いときは、会社と縁が切れたことを喜ばしく話す旦那がいたからです。
2009年7,8月
子供たちは夏休みに。
小学校のプール、幼稚園のプール保育の付き添いと休みの前半は定期的にでかけることが
多く、家の空気はよどまなかったように思います。
友達宅とのキャンプも、半うつのまま旦那は参加することになってしまいましたが
うまくやり過ごせた(?)ような感じでした。
夏休みの中盤から後半にかけて、うつが悪化しパソコンから逃げ回るようになっていきました。
午前中起きて再び朝寝、昼すぎは昼寝、夜はテレビに飲酒で、早めに就寝。
四六時中寝ていることが多く、見ている方はイライラが募る時期でもありました。
それでも子供に影響を与えないよう、プールの夏期講習へ行かせたり
習い事へ出かけさせたりと、寝ている旦那を目の当たりにしないよう
普通に過ごすよう心がけていました。
9月
ダウンしている時期が多く、寝すぎとしか思えないような日が続きました。
薬の副作用に負けているんじゃないかと疑いがでてきたのは
このころからでした。
10月
旦那は日々ねたきり。ご飯は食べるけれどエネルギーがなく背中も痛がる。
うつの状態は一向に良くなる兆しがなくこちらもめいってきてしまいました。
治療を始めた頃と今を比べると状況は変わったけれど良くなったとは言えない。
むしろ先が見えない暗く出口のないトンネルに迷いこんで、お先真っ暗という言葉が
ぴたりとくるほど、状況は悪化していました。
投薬治療を始めて6年が経過していました。
祖母が昔、うつを煩い周囲からも奇異に見られる程だったけれど、薬をやめることで劇的に回復したと聞きました。
旦那もたくさんの抗うつ剤を飲んでいます。
ここは薬をやめたほうがいいのではないか。。。?
そして断薬をはじめたのです。