雅孝のブログ「雅流〜GARYU〜」

雅孝のブログ「雅流〜GARYU〜」

MMA、野球、音楽が好きな運送屋のブログ。
日常を書いていきます。

ベースボールファイター。荒野を行く



人が良好な関係を築く上で最も重要なことは"思いやり"です。これに尽きると思う

人間という生き物は大抵、自分が経験したことのない物事は想像できないわりに、経験済みのことに関しては酷く他者に厳しい

ここで相手を思いやる気持ちが無いと心無い言葉を投げかけてみたり、見当違いな行動をとったりしてしまうわけです

昨今のSNSはパートナーへの愚痴やらなんやらに溢れていて、しょっちゅう男女が対立するような構図のポストが散見されます
その多くが双方に思いやりが無いケースばかり

結局のところ皆、「見ているようで見ていない」ということです

基本的に人間はわかり合えないものなんですが、それでも尚、相手をわかりたいと思ったときに役に立つのが"想像力"だったりします

これは自分だったらどう思うか、という目線だと間違えるので、本当に相手の立場になったつもりで考えるということが重要です

それをするために必要なのが洞察力です

相手を真剣に見ていれば日々の傾向と対策で大方のことは見当がつくようになります
相手がこういう表情をするときは何を思っているときなのか、いつもよりも元気がないのは何故なのか
調子が良いとき、普通なとき、調子が悪いときをきちんと観察しておくと見えてくるものがあります

もっとも想像し切れることばかりでもありませんから、そこで慮る気持ちが大切になってくるわけです


これまたSNSでありがちなのが、主語が大きいパターンですね
男は、女は、と一括りにして言うことが多いですが、個人差があるので当てはまるとは限りません

SNSばかり見てそういうものか、と思うのではなくあくまでも目の前の人をしっかり見ること

仮にアブノーマルであったとしても目の前の相手が良しとする選択が正解なわけです
それを導き出せるかどうかは世論ではなく自分にかかっている


思いやり、とは全知全能を駆使して相手を思うことなんです
中途半端にやるから相手の思ってることとギャップが生まれて、思いやったつもりの側も思い通りのものを受け取れなかった側もモヤモヤする結果になるわけで

たくさん観察して、たくさんの可能性を想像して、多くの引き出しからその場その場で最良の選択をし続ける
そしてそこまでの本気度と気持ちがあればそれらはきちんと相手に届きます

その想いそのものはちゃんと愛として伝わるはずです

それが届かないということは何かしらが間違っているのでお互い見直した方がいいでしょうね


私は幸い、お互いに同じ熱量で思い合うことができて、様々な部分での共感性が高い人と一緒に居られるので本当に有難く思っています

なかなか無いことだと思います

お互いがお互いを思いやり、どれだけ親しくなっても配慮を忘れないから今の幸せがあるわけです

不幸話を他所に話して変な同情を貰うくらいなら、相手を正しく思いやること
お互いがほんの少しだけ努力をし合えば、ずっと幸せで居られるはずです

向かうべきはSNSではなく、目の前の相手です



したっ!



基礎があるから応用ができる、ということ
基礎がなってない状態で応用編に行っても良いことはないんですよね

例えを出すなら昨今人気のChatGPT
自分で考える頭があるからきちんとした指示を出すことが出来て、優秀な片腕になってくれる可能性を持っているというだけで、ハナから何らかの答えを求めるためにChatGPTに頼っていてはそもそもの考える頭が鍛わらないわけです

他にも、幼少期からの英会話
これは様々な考え方があるので一概には言えませんが、基本的に母国語もままならない状態で外国語を学んだとて言語ツールが増えるだけでどれも中途半端になるような気がしてます
ここで言う基礎は"母国語"ということですね
先ずはそこからだろう、と

せっかく便利なものがあっても使い手が使いこなせなければ宝の持ち腐れですし、ものに使われてるようでは話になりません

ただでさえ世の中は工夫をせずとも苦労なく目的を果たせるものがどんどん増えていて、知恵を使う機会が失われているわけです

その中で考える力まで失ったら人形と変わらないですよ

まあ、もっともそういう"人形"を増やしたくて推し進めてるところもあるのかもしれませんが


人が人たらしめる部分まで道具に委ねてはいけないと思ってます

簡単に答えが出る現代で答えを探す手間を大切にすること

正解と不正解の間にある曖昧な部分を感じ取ること

自分にとっての最適解はChatGPTなんかにはわかりませんよ
自分の正解は自分で決めるんだから

道具を頼っておきながら失敗したら道具のせいにするんでしょうか
そんなしょうもない話ないですよ

道具が連れて行ってくれる先の見えた未来に面白さなんて感じないでしょ

基礎があれば、自分の足で歩むことをやめなければ
きっと面白い世界が見えるはずです

そんな未来を掴むために、日々考えることをやめない
選択し続ける毎日で、答えを出すことを諦めない

自分の人生は、自分が決める



したっ!



物事の片をつけることをせずに先に進んでも結局は悔いが残る。という話

今、何かを拗らせている人の多くは"やり切れなかった"ことが関係していると思っています

例えば、「青春」
10代の頃にやれたはずのことを当時は斜に構えていたせいでやってこなかった
そういう人は歳を重ねてからそれらを取り返しに行きます
まだ取り返せたのならいい
取り返せぬまま次のライフステージに行こうもんなら悔いが残ります
そしてそれらが所謂"おイタ"に繋がる可能性がある
それの是非はさておき、10代をやり切った人たちはライフステージの変化もすんなり受け入れている印象です


物事は終わらないと始まらない、とはよく言いますが、感覚的には「終わらせないまま始めてはいけない」という方がしっくりきます

かく言う私もきちんと終わらせないまま来てしまった物事に後ろ髪を引かれているわけで

野球にしても、格闘技にしても、明確に引退をせぬままここまで来たために"続ける"という選択肢がほんのり残っていて困っています

とは言え退路を断たない、逃げ道を残す。と言った生き方も悪くはないと思っている口なので何とも言えないところもありますが

例えばこのまま辞めたと言い聞かせて、次のライフステージに進んだとします

ことある毎にチラつくと思うんです。"ヤツら"が

何か苦しくなったときに、ふと思い出しては「あのときあのまま続けていたら今頃もう少し上のレベルを見れたかな」などと寝言を抜かすに違いない

そして「何故ここで?」というタイミングで突然復帰しようと試みたりするんです

それは私にとっては良くても、周りからしたら傍迷惑な話で
話が違う、となるわけです
そういったところからすれ違っていく家族も居るのではないかと思ってます
冷静になれば、お互いの人生において重要な場面で自分のやりたいことに没頭してる男なんてろくでもないことくらい判るのに

これは"終わらせなかった"ことによる弊害です


私がここ数ヶ月でやたらと"引退"を口に出しているのは何よりも私自身に対しての投げかけだったりします

それらを生業に出来なかった以上、潔く身を引くことが次のステージに進む上での最適解なのです

頭では解っています
それでも尚、名残惜しさが残るのは他でもない「やり切っていないから」なんです

野球に関しては自分が見れる最も高いレベルを見せてもらいましたし、これ以上のスキルアップも望めない、という点でわりとすんなり辞めれるのですが
問題は格闘技
社会人になってようやく復帰したと思えば仕事が忙しくなり継続できず活動休止
再度復帰戦を目指すもコロナ禍により叶わず
そこからまた再び復帰を目指すも膝の怪我により離脱
およそやり切ったとは言えない形のまま現在に至ります

正直なところ最近は忘れていました
このままフェードアウトしても問題なさそうなくらいには

しかし今日別件で用事がありジムに顔を出したのですが、そこで迎えてくれた会長や先生、顔も知らぬ練習生たちを見て、また消えていた炎が燻り出してしまった

もう一度やるべきか、きちんと揉み消しておくべきか

やるなら今、ラストチャンス
しかしながらリスクは大きい


おそらくやらないでしょうけどね

ただ、もし、再びやろうと思うタイミングが今後の人生の中で生まれてしまったとして

そのときにやれる自分はキープしておこうと思ってます

ある意味では生涯現役かもしれない

いつでもやれる体力は維持しておきます

このまま引退するのがベストだとは思うけど、ね



したっ!