雅孝のブログ「雅流〜GARYU〜」

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MMA、野球、音楽が好きな運送屋のブログ。
日常を書いていきます。

ベースボールファイター。荒野を行く



4月になりました

新年度がスタートしたわけですが、新年度早々に想定外のことが連続しています

初日からとんでもない物量のコースにはめられて定時を超える時間まで働いたかと思えば、翌日は経験の浅いドライバーたちを束ねながらまたしても物量の多いコースを走る羽目に
そして今日は車が故障して午前午後の仕事全てがキャンセルになりました

基本的には上手くいくことを期待していないので何が起きても諦めがつくと言いますか、あまり感情が動かないのですが、さすがに今回ばかりは心が折れそうです。笑

何故ここまで悪いことが重なるのか
何故、自分にそれらが降りかかるのか

被害者ヅラして腹を立てるのは簡単なんですが、こうしたアンラッキーにも何かしらの理由があるんでしょうし、逆を言えば更なるアンラッキーを食い止めるためでもあったかもしれないという見方もできるわけです

もしかしたら今日仕事に出ていたら大怪我をしていたかもしれませんし、より不都合な事態が起きていたかもしれない

そう考えたらむしろラッキーだったかのように思えてきます

時間がある限り、体力が続く限り、働くことを選択することが多い私はこういうイレギュラーでもない限り休まないので"休め"という暗示なのかもしれません

とはいえここで得られなかった報酬分を巻き返すことも容易なことではないので頭を抱えているところではありますが

おそらくはそれもまた試練なんです
これから訪れる様々な"上手くいかないこと"に折り合いをつけながら、機嫌を損ねることなく淡々とすべきことをやり、大切なものを大切にし続ける力を試されている

文句ばかり言っていても仕方がない
自分に降りかかったトラブルは自分で解決しなくてはならない
その能力がなければ、大事な人に降りかかったトラブルだって解決できないでしょう

自分のことにも目を向けながら、他者にも目を向ける

決して自分本位になってはいけないし、ひとつの物事に気を取られすぎてもいけない

悪いことに引っ張られることなく前を向き、悪いことに引っ張られている人がいれば光差す方へ引っ張り上げていく

ずっと憧れてきた強い人は単に体が頑丈で物理的に強いだけの人ではなく、そういった力を持った人だったから

そのための訓練だと思うことにします



神や仏が居るんだかなんだか知りませんけど、私は自分のことくらいは何とかしますから

その代わり、私が大切に思ってる人のことは救ってあげてくださいな

よろしく頼みます



したっ!




いつだって割を食うのは優しい人で、日々誰かのわがままに振り回され、無茶振りに耐え、何気なく放たれた棘のある言葉に傷ついている

喉まで出かかった言葉を言わないでおいているのはその人との関係を壊したくないからか、厄介事への億劫な気持ちか、はたまた言っても変わらないことへの諦めか

何れにせよ、受け身に転じることが多い"優しい人"は今日もサンドバッグになり、緩衝材になり、繋ぎ役を担っているわけです

そういう人が居るから社会は回っています


、、、果たして本当にそうでしょうか

優しい人に対してそういう態度をとる側の人間はきっと"誰でもいい"はずなんです

大方の人が面倒になって適当にあしらったり、距離を置いたりする中でそれらをせずに正面から受け止めてくれる人がたまたま「あなた」だったというだけの話なんですね

彼らは仮にあなたがそうしなかったとて、またどこかで新たな獲物を見つけるに違いない

別に、あなたは特別ではない


だいぶキツめな物言いになりましたが、これはどのような関係性においても言えることです

友人関係や恋人関係に限らず、会社での関係性やその他のコミュニティの関係全てに当てはまります

頼られると意気に感じてしまうあなた
ダメな人を世話する度に仕方ない奴だと思いながらやり甲斐を感じてしまうあなた

それはきっと、あなたがやらなくてもいいことです


本来あるべき真っ当な関係性は対等でないといけません

打てば響くし、しんどいときには助け合う
あげたものはきちんと返ってきます

そこのバランスが悪い状態で続く関係性はおかしいんです

本当に自分のことを大事にしてくれる人はむしろ不利益を被ることを嫌がるはず
損をしている状況を決して良しとしません

そこには思いやりがあるはずです


かくいう私も自分が頑張らなければ成立しない関係性の中で生きていたこともありますし、おそらく自分は大方のことを許容しているから付き合いを持ってくれてるんだろうな、と思う友人関係もありました

結局そういう関係性は長続きしませんし、何かの拍子に切れてしまうものです

30歳を迎えて思ったのは、自分に対して失礼な人間にはきちんと怒るべき、ということでした

本当に多くのコミュニティ、多くの人と出会ってきましたが、振り返ったときにこの10年で付き合いのある人がほぼ変わらないんですね

言い方はアレですが、「コイツはおかしい」と思う人は淘汰されていきました
結果残ったのがずっと続くひと握りの友人だけだったということです

私の性格上、気に入らない人からはフェイドアウトしてしまうので結果的に怒るまでに至らないんですが、どうせ早かれ遅かれ自分のもとから消えていく人なんだったらわざわざ無駄な労力を割いてやる必要はないわけです

その場で怒る

旨味を吸わせる間もなく、一蹴する

それで離れていく人はどうぞ、と言った具合に


向こうがこちらと関わりを持ちたいと思っているならば考えを改めるでしょうし、確実に"変化"してくるはずです

偉そうな言い方をすれば、そこまでの骨がある人なら付き合いを持ってやろうと思っています

大人になればなるほど上っ面の付き合いが増えますし、その上っ面が剥がれるととんでもない人間なんて山ほど居ます

上っ面だけなら上手いこと付き合っていける人とはそのコミュニティに属している間だけ上っ面だけでよろしくやっておけばいいですし、上っ面が剥がれて失礼をしてきた相手はさっさと消せばいいです

常々言っていますが、人生は思っているよりも短くて時間なんていくらあっても足りません
それなのに自分にとってしょうもない人間の相手をしていたら時間の無駄なんです

耐えてる時間は多少の学びこそあれど、苦痛でしかない

その苦痛を味わう時間に大事な時間をとられてはいけません


言いたいことは言ってやればいい
飲み込む必要はありません

それが優しくない、ということにはならないから

あなたの優しさはその優しさの有難みがわかる人にだけ使えばいい

限られた時間は、本当に大切なものにだけ使いましょう



したっ!




要らんことを言い始めたら余裕がなくなっている合図だと捉えています

何を言うか、よりも"何を言わないか"の方が余程重要で、全てを言ってしまえば自らの底が見えてしまう

余白を残すことで相手からしたら面白い存在になれるのではないかな、なんて思ったりします

主観で見た自分を相手に伝えようとしてる内はまだまだなんだと思います
自分という人間がどういうものであるか、自分にどれだけの価値があるかなんてことは相手が勝手に決めればいい

そして、自分が思う自分の価値は、自分だけがわかっていればいい



東京に来て3ヶ月が経とうとしておりますが、相変わらずビジターの気分で過ごしています

ホームグラウンドを捨て、アウェイの地に乗り込み、改めて私はどこの人間でもないんだと思いました

埼玉、愛知、再び埼玉と住処を移してきましたが、そのどれもが自分にとって重要な場所でありながら、どれも肩書きに書けない場所なわけです

あくまでも便宜上、東京都民を名乗らねばならないためにそうしているだけであって、私にとってのホームはどこにもありません

1人でいるには、東京は広すぎる


いつかホームと思えるときが来るんでしょうが、だいぶ先の話になりそうです

そのときまでは、外様らしくしていようと思いますよ



したっ!