「執着」というボキャブラリーは、大変ネガティブです。同意語辞典を見ても、これは、というポジティブに感じられる物は有りません。
あえて挙げるなら「余念が無い←同意語辞典の中から」という事でしょうか?
私のこだわり、ある意味「執着」とも捉われかねない事は、余念がない≒私の感性のキャパシティーが狭い、という事がその大きな理由・根源なのでしょう。
根っからの左脳人間である私は、小学生時代から相対性理論に親しんでいました。夜のお墓で繰り広げられた「心霊ごっこ」などには100%理論的に有り得ない事だと冷め切って、微塵の恐怖さえ感じなかったのです。子供の頃から「原子」中心の化学論的に物事を捉え、成人した頃からは「量子・超弦理論」中心に物事を捉えています。
そんなバックボーンが、逆に私の感性の幅をせばめてしまっているのかもしれません。
若い頃、友達とディズニーに行っても、全ては「お化け・心霊と同じく、有り得ないファンタジーだ」と、冷め切っていました。レンタルビデオ店に行っても、ほぼ全てのビデオ・ドラマ等は全く意に介しませなん。音楽のライブビデオを探すのですが、かなり少なく、仕方無しにドキュメンタリー物を借りる程度です。
理系にはとことん「執着」していたものの、例えば「歴史」等は全く受け付けませんでした。年号の暗記ほどくだらない物は無い、という信念でしたので、日本史・世界史は卒業時の単位も危なかったのです。特に日本史、卒業時に「赤点確実」で、数回の追試験にも落ち、先生から教科書のある部分を10回ノートに書き写せ、との命の後、受けた再々追試にも不合格。さすがにここまで出来ないとは、逆に先生もびっくりされる程でした。
一度「くだらない教科」だとインプットされると、とことん頭に入らず、どんなに勉強しても全く理解できず、逆に一度興味を持った理系は、
当時インターネットなど無かった時代でも、専門書を読み漁り、授業の物理なんか、子供だまし程度のレベルでした。
右脳≒国語系は苦手で、例えば小説を読んでもあまり頭に入ってきません。テレビドラマも、まあ全般的にあまり好きではありません。
お笑い番組もNG、例えば年末年始等の3時間枠番組もお笑い色が強くNG、年末年始は観る番組がありません。
2004年、数年前から透析導入となっていた私は、クール変更により、NHK大河ドラマの再放送の時間帯に透析治療時間があたり、なんとなく毎回観ていました。2004年は「新撰組」その後「義経」「巧名が辻」「風林火山」と続き、なんとなく、ずっと観ていました。そして2008年
私のドラマが始まりました。
2008年の大河「篤姫」実は、第1回目にずっこけました。超くだらない演出。篤姫出産直前の島津お幸が、急に貧血のように意識をなくし
その時に妖怪のような爺さんに「いまに生まれるおなこ(女の子)は、江戸に君臨する」ような事を言われた後、意識が戻る。もう、それで、観るのを止めたいと思ったのですが、なんとか我慢して続けました。
ところがですね、2回目・3回目と進むごとに、これは歴史ドラマではなく人間と人間のドラマ、壮大なドラマである、と感じるようになりました。幼少期の篤姫と尚五郎(後の小松帯刀)の淡い恋心の描写、全く歴史がわからなかった私ですが、その後の小松帯刀の流れも解り
一転、歴史大々好きになってしまいました。学生の頃、この篤姫を観ていたら、今と少し違う人生だったかもしれませかん。
透析で通院する病院の看護師とは、週3回会いますので、ある意味家族の様な感じ、いつからか篤姫が共通の話題になっていました。
伊井直弼暗殺(桜田門外の変)放送翌日には「こんにちは」の挨拶の前に、双方ほぼ同時に「伊井さん殺されちゃったねぇー」と会話するほど、もう、このドラマの虜になっていました。史実はどうか解りませんが、篤姫と伊井大老は、心を通わせた同士でしたから、その位、感情移入していたのです。
その後の大河も、もう10年10作観ましたが、どれも「泣かず飛ばず」篤姫の様な作品には出会えていません。来年の「麒麟~」明智光秀に期待しましょう。
今でも篤姫は、DVD全巻を何度も観ています。これを「執着」と言われるなら、本望です。
話題は変わりますが、音楽について・・・・
私は若い頃、フルバンドでギター、ベースを弾き、バンドの方針が「カウントベイシー」を目指していて、歩行者天国の演奏にも「カウントベイシー中心」の選曲。「ねえっ、聖子ちゃん←松田聖子の曲をやろうよ」と言ってもあまり受け入れられず。聖子ちゃん演奏したほうがギャラリーは絶対増えるのに・・・・カウントベイシーのスゥイングジャズがあまり好きになれませんでした。
音楽の「ストライクゾーン」も、好き嫌いな学科と同様、かなり狭いものとなっています。
最近の「歌謡曲・ヒット曲」←もうこの様な概念も「死語」かもしれませんが・・・・は何も有りません。
7年前、中2・小5の時にリアルで知り合い、大3・高3になる現在も「お友達」でいる姉妹←私の血圧同様に、信じられない話かも知りませんが・・・・彼女たちと割と話は合うのですが、音楽だけは全く「水と油」。彼女たちの聴いているアーティスト・楽曲は一通り聴くのですが、私には全曲受け入れられません。
由一、ボーカロイド「 GUMI 」の「スターマイン」という曲は、私の魂を打ちました。別項にも書きましたが「平成の一曲」になっております。
I WISH(川嶋あい)の「明日への扉」、西野カナの「君って」を押さえ、平成30年間のベストワンの曲になりました。ちなみに、彼女たちは、GUMIの曲の中でも「スターマイン」はあまり好きではないのでいす。ジャンチャカジャンチャカ、訳のわからないアップテンポの、メロデーラインやコード進行のデリカシーの欠片も無いような曲ばかり聴いています。音楽の事だけは全く相容れません。
さて、時代は「令和」まだ始まったばかりですが・・・・自虐ネタでは有りませんが・・・・もうあまり人生が無い、少なくても「夢一杯」の彼女たちに比べれば、物理的にそういう物なのです。しかも、昨今の音楽事情から、もう、音楽は「核崩壊」していて、まともな曲は少なくなる一方でしょう。
そんな訳で、少し気が早いかも知れませんが、恐らく、私の「令和の一曲」となるだろう曲、今までと少し違うジャンルですが、あるアマチュアのかた←将来有名になられるかも、のエレクトーン自作曲「散りゆく花びら」 GUMIの「スターマイン」を聴いた時に匹敵するインパクトがありました。本当に超素晴らしい楽曲だと思います。この曲のことも「執着」だと言われてしまえば、返す言葉は無いのですが・・・・
