ここが気仙沼復興協会KRAです。
もう3年になりますが、MISC(目黒インテリアショップコミュニティ)と
杉野服飾大学短期大学部の共同プロジェクトで
気仙沼で、市の外郭団体KRA(臨時雇用等の受け皿)と
いっしょに、仮設住宅等にお住まいのご婦人(縫いっ娘ぶらぐ)
にソファ、カーテンのあまり布地でインテリア小物
トートバッグ、ランチバッグ、ポーチ、エプロン、チュニック
めがねケース、小銭入れなどを作ってもらって、東京、神奈川を
中心に販売してその収益を縫い手さんに還元するというプロジェクトを
やっております。
年に1度は、新製品の提案、縫い方の指導を行って降ります。
杉野さんは3名の先生方、MISCは私を含め2名で行っています。
すべて実費のボランティアとして活動しております。
今回は肩かけバッグをはじめ5アイテムの新商品を提案できました。
こんな感じです。
金曜日の晩、仕事、学校が終わり新幹線で仙台に入り、
翌朝、早く出発し今回はメンバーに気仙沼以外の被災地を
見せたいとのことで、私が初めて行ったときのルートで気仙沼へ
向かいました。
松島、、石巻、女川、南三陸、気仙沼へ、、、、、、
復興のスピードがかなり差がありびっくりしました。
石巻は新しい道路、商店も出来、渡波小学校もすごーーく
綺麗になり、あの避難所だったころの面影もありませんでした。
女川は逆に、、まだビルが倒れたままで、、、まだまだまだ、、な感じでした。
南三陸もちょっと停滞気味ですが、近くに三陸道が来るみたいで
インターを建設していました。かなり便利になるのでしょう!!!
そして気仙沼へ、、、思ったよりも時間がかかりました。
1時間遅れで到着、、すぐにワークショップを開きました。
そして、、、気仙沼市議会議長の守屋さんが登場
復興の現状の話がありました。
いつも熱い人です。復興のエンジンみたいな人です。
いろいろと聞きましたが、、、、難しい局面が多い、、、
復興像をまとめるのは、、、簡単ではないと感じました。
今回のメンバーです。
下段真ん中にいるオレンジの女性がKRAの担当の方で
気仙沼弁の強烈な小松さんです。
はじめは何を言っているかわからなかったが今では
ほぼわかります。
30代ですが50,60代の方の話す、、、昔からの
気仙沼弁をしゃべる貴重な存在です。
若い方は、、、ああはしゃべらないので、、、、みんなが
あの人とは違うので誤解されないようにと言われています。
確かにそうです。
二日目の朝
ホテルから見る気仙沼の港、町並みです。
これでも、、、1年前と大違い、、かなり復興が進んだ感じがします。
お昼の後に、、連れて行ってもらった地域の3分の1の方が亡くなった
場所に慰霊碑が出来たので、、、行きましょうとのことでお伊勢浜から広陵高校???
のあたりを見学しました。340数名の方が暮らしていた地域で浜には民宿等が建ち
夏は海水浴場として賑わったいたところ海が3面あり3方向から津波が来て、津波が
ぶつかって最大18mの津波が襲ってきたとのことです。
この場所に避難所がありましたが、避難所ごと流されて97名の方が亡くなられとき聞きました。
助かった方も、着ているものすべてもって行かれ、裸で隠すものもなく、雪の降る夜、、
恥ずかしさで、、泣き泣き、、避難所までたどり着いたとか、、自衛隊の人に助けられたとか
聞きました。あの時の苦痛が忘れられなく気仙沼へ帰ってこれない人もいるとも聞きました。
報道されない、悲しみ、苦しみ、恥ずかしさ、、、ここであらためて津波の恐ろしさ、、、
避難所、、、生活の苦労など、、、感じました。
亡くなられた方のご冥福を祈るともともに、大変なことを経験された方々の苦痛が癒されることは
難しいとは思いますが、、、言葉がありません。
この手前の国道のスーパーの上を津波が飲み込んだそうです。
すべてのものが流されたけど、その商品を
ここの社長はもっていっていいよ!!!
食べてくださいと、振舞われたそうです。
りっぱです。なので繁盛しているのでしょう!!!
二日目夕方ぎりぎりまでワークショップをして、
飛ぶように一関まで走り、新幹線にて東京に着いたのが夜の10時
大変でしたが、、、気仙沼方々といろいろ話せたこと、、、
非常に貴重な体験というか、、、財産だと思います。
帰り際、、鹿折地区によりましたが、以前は大きな船があり
観光スポットになっていましたが、現在は大量の土砂とトラックで
大きな工事現場になっていました。
来年はコンクリートと固められかさ上げされた道路、地盤、、防潮堤が
建設されて景色がいっぺんするのだろなあと思わされました。
住まわれる方の安全が第1なのでしょうが、、、作られたコンクリートの
地面、建物、道路、防潮堤、、、、
気仙沼の素朴な、穏やかな、、、景色、、風土みたいなことを
感じられるようなプランがあれば、、、、いいのになあ??
と外部者の勝手な思いですが、、、
感じて帰りました。
新しい、復興された気仙沼はどのようになるのでしょうか???



























