「ワールドカフェ」というディスカッション形式がある。日本で生まれたのかどうかは不明だが、自分は日本で初めてこのようなディスカッションを体験した。

 サークルでエコに関する講座を企画し、その後に講師も交えてワールドカフェをするという流れだった。ワールドカフェというのは、一つのテーマを中心に多人数でディスカッションをするときに使えるのだが、基本はまず人数を考え、幾つかのテーブルに分かれる。各テーブルには模造紙、マーカー、時にはポスト・イット、お菓子が置いてあり、くつろいだディスカッションを楽しめる。また、各テーブルにはホストを一人設け、意見をまとめたりする。ここからがワールドカフェの醍醐味になるのだが、ディスカッションはまず各テーブルで行われる。全員が意見をポスト・イット、または直接模造紙に書き込み、意見を交換。数十分後、ホストが意見をまとめ、ホスト以外の人は、違うテーブルに移動する。そして新しいテーブルで、またディスカッションを始める訳だ。テーブルを全て回ったらワールドカフェは終了。各テーブルのホストは、自分のテーブルで出た意見をまとめあげ、発表する。

 ワールドカフェ最大の利点は、多人数ディスカッションで、きちんと個人の意見を出し切れるということだと思う。更に、テーブルを回ることで、違う人のアイデアにインスピレーションを受け、新しいアイデアが生まれる可能性が増える。

 今回、自分が参加したワールドカフェでは、「企業が提供する擬似科学に惑わされないためには?」という難しいテーマに挑戦。前文で述べたような利点を実感することもあったが、不足点もやはりあった。テーマの処理の難しさからかもしれないが、各テーブルで行われたディスカッションは似たような物ばかりだったのだ。班分けの必要性をあまり感じることができなかった。

 まぁこうした利点、欠点はあるものの、こうした新しいディスカッション形式を取り入れることで、日本の会議もむさ苦しいものではなく、もっとバラエティ豊かなものになれるのかもしれない。

 最近コミュニケーション術についての講座を聴いてきて、傾聴と日本語について考え直すことがあったので、ここに記そうと思う。

 先ず、「きく」という言葉だが、日本語では、漢字で三つの書き方があって、「訊く」「聞く」「聴く」がある。それぞれ微妙なニュアンスの違いがあるが、漢字を分析してみると、「訊く」はごんべんから「口できく」;「聞く」は「耳」が入っているので、「耳できく」;最後に「聴く」は耳、口、心、手(十字は手と見なす)を使って、つまり「五感できく」、ということになる。傾聴というのは、「聴く」の域に達していなければいけないことが分かった。

 次に、「I(アイ)」メッセージについての紹介があった。日本語では、他人と交流をする時、主語が第一人称、つまりI(アイ)であることが少ないらしい。相手をほめたりする時、「すごい」や「じょうず」は主語の「あなたは~」を省略しているのであまり気づかれない。だが、「わたしは~」から始まる褒め言葉は珍しいのだ。「感動した」や「うれしい」という言葉を使って相手とコミュニケーションすると、相手はとても印象に残るらしい。「You(ユー)」メッセージで相手をほめると、大抵恥ずかしがられ、謙譲されることが多いが、「I(アイ)」メッセージを使うと、相手は謙譲の余地が無い。お互い良い気分で会話を進めることができるのだという。

 こうして見ると、日本語はますます奥が深い。「相手を褒める→謙譲される→褒め返される→謙譲する→…」というのが日本人のコミュニケーションの基本パターンだと思っていたのだが、「I(アイ)」メッセージを使うことで、もっと幅のある会話を楽しめることができることを学んだ。これからは「I(アイ)」メッセージを使って新しい日本語コミュニケーションの可能性を探ってみたい。

 題名は或る歌の歌詞を一部替えた物である。

 図書館と言えば、落ち着いた雰囲気の代名詞とも言える場所だ。読書だけではなく、一人で考え事をしたいときにもよく使う。このような場所が自然では失われつつある現在、図書館は非常に貴重な空間であると自分は思う。

 大学の図書館には暇を見つけては潜り込んでいるのだが、期末試験期間が近づいてくるにつれ、館内の人が多くなって来たので、行くことが少なくなって来ている。人がごった返していると、どんなに静かな空間でも、心が落ち着かなくなってくる。ましてや、寝ている人、小声で話をしている人、歩き回っている人を見るとイライラさえしてくる。

 図書館というのは本来、勉強者のために設けられた空間であって、そこで勉強している人たちで、「勉強」という雰囲気を作り上げて行き、またその雰囲気を必要としている人を引き入れることで役割を果たしている。よって、図書館へ行く人は、少なからず「勉強」の雰囲気を求めていることが推測できる。だが、実際は「雰囲気」というのは言葉だけのことが多く、図書館で勉強するのは必ずしも家で勉強するより効率的であるとは限らない。つまり、大半の人は、「勉強する」という動機よりも「図書館で勉強する」という動機の方が強く働いていると思う。こっちの方が響きがいいからなのだろうか?これは、中国の大学でもよく見られることだが、朝早く起きて、図書館開館前から外で長い行列に並んで、入館後ダッシュで席を確保、その後席とりに費やしたエネルギーを回復すべくそのまま昼まで爆睡…日本ではさすがにまだこうした現象は発見してないが、図書館に行くこと自体を目的とした学生はやはり少なくないのではないか…

 以上、本人の推測が主導となっているので、まじめに捉えないでほしい。

 醜くも美しい図書館にて。