「もう一度、やり直せるんじゃないか」 「僕がもっと変われば、彼女は浮気をやめてくれるはずだ」

妻のスマホから見つけてしまった、見知らぬ男との生々しいやり取り。

 心臓が潰れそうなほどの衝撃を受け、過呼吸になりながらも、僕の口から出たのは「どうして?」という問い詰めではなく、「行かないでくれ」という懇願でした。

 

30歳、男。 浮気をされ、DVを受け、尊厳をズタズタにされているのに、それでも僕は「再構築」という言葉に縋(すが)っていました。

 

本当に、自分が嫌になります。 でも、今なら自分に突きつけられます。 

僕が望んでいた「再構築」は、愛ではありません。 独りになるのが怖くて、生活が壊れるのが怖くて、相手の情けに縋っているだけの「醜い依存」です。

 

裏切った相手に対して「やり直そう」と歩み寄ることは、一見すると寛大で優しい行為に見えるかもしれません。 でも、そこにあるのは「自分一人では生きていけない」という強烈な無力感だけでした。

 

「浮気は病気だから」 「子供のために、父親が必要だから」

 

そうやって、もっともらしい理由をつけて自分を騙していました。 でも、再構築を望めば望むほど、相手は僕を「何をしても許してくれる、都合のいい踏み台」だと確信し、さらに僕を馬鹿にするようになった。

 

裏切った側が反省するのは、失う恐怖がある時だけです。 今の僕のように、泣いて縋って、相手の機嫌を伺っている男を、誰が「失いたくない」と思うでしょうか。

 

再構築という幻想を追いかけているうちは、僕は一生、妻の影に怯えて暮らすことになります。 そんな「死に体」の父親を見て、息子はどう思うでしょうか。

 

 浮気をされてもヘラヘラと笑って、機嫌を取っているパパを、いつか軽蔑する日が来る。それが一番怖い。

 

再構築を前提にするのではなく、 「いつでも独りで息子を養える」 という圧倒的な自立を、最優先事項にします。

 

「浮気されても、なお僕が必要だと言わせる」のではない。 「浮気された瞬間に、こちらから捨てられる自分になる」こと。

 

感情に振り回されて、再構築という名の「奴隷契約」を更新するのは、今日で終わりにします。 僕は、僕の人生の主権を取り戻す。 たとえ、その先に孤独が待っていたとしても。