人にとって幸せとは何だろうか?

金も、地位も、名誉も手にしていながら、幸せでない人もいるだろう。

もし、幸せの定義が自分が満足している状態のことだとしたら、

金も、地位も、名誉も自分を幸せにする為には

さほど重要ではないのかもしれない。

人は生きていれば、徐々に初めての体験、感動も少なくなり、

刺激に対する免疫が付いていく。そして、様々なものを知り、

手に入れてゆくことで、自分の満足できるラインが上がってゆく。


自分を満足させることが、徐々に難しくなってゆく。

より多くの感動や、幸せを感じたいのなら、自分の満足できるラインを

下げなければならない。

極論を言えば、砂漠を何日も飲まず食わずで歩き続ければ、

そのラインは限りなく底辺に近いところまで下がるだろう。

しかし、それは日常生活においては、決して容易なことではない。

一度知ってしまった事は忘れることはできない。
才能をダイアの原石とすると、努力はその原石を磨く工程だ。

 社会的な価値基準のプライオリティとしては、その原石そのものの

大きさ、希少価値、またはクオリティよりも、いかに磨かれているかが

優先されているような気がする。

 勿論、クオリティに差がある二つの原石に、

まったく同じ研磨を施した場合、最終的な輝きは原石のクオリティが

優れているほうが勝るはずだ。

 しかし、劣悪な原石に入念な研磨を施したケースと、

最高の原石に劣悪な研磨を施したケースでは、恐らく前者の方が

高く評価されるだろう。

 それは、明るみに出ていない才能を見抜ける人材が決して

多くないというのと、評価する者にとって、

努力で得た実績というものは、最もわかりやすい

評価基準だからだ。

 
 最高の原石に最高の研磨を施してあげられるケースは

非常に少ない。

 なぜならそれには、先天的な才能と後天的な才能の二つの才能が

必要とされてくるからだ。

 先天的な才能とは、先にも述べた、原石のクオリティ。

そして、後天的な才能、最も重要な才能は、

先天的な才能を磨く才能である。

相互にインスパイアされながら、意識を変化させてゆくことで、

人は人間関係を円滑にしてゆくことができる。


 しかし、その工程をあまり頻繁に繰り返すと、

自分自身の核が徐々に沈んでゆき、外界にほとんど姿を見せなくなる。

 そして、自分自身さえも、自分の核が何だったのか

見失ってしまう事も考えられる。

 誰にも接することなく、一人でいる時間は、その核を覆うオブラートを

リセットするためにも、蓄積された情報を整理するためにも、

現在の人間にとっては確実に必要な時間である。


 外界からのアクセスを完全にシャットアウトして、

自分の核を再確認すれば、不必要な残骸に埋もれた大切な何かを

取り戻すことができるかもしれない。

イデアとは、普遍性を持ち、全ての目安になる完全なる形のことだ。

 そもそも物の本質とは何だろうか?

例えば、完璧な三角形はこの世界に存在しない。

 この世界に存在する不完全な三角形を、三角形と認識できるのは、

脳の中にある完全なる三角形、つまり、三角形のイデアと

照らし合わせる事ができるからである。

 そして、これは全ての物事に共通する。

プラトンという哲学者が問題定義を積み重ねた上で導き出した

このイデア論は、物の本質、真理への一つの回答
である。

 今回の主題は、最近の人々は『己が持つイデア』と、

『他人の持つイデア』の形が酷似していると

勘違いしすぎている事について


 例えば、AとBが、美しいだとか、醜いという抽象的な概念を用いて、

コミュニケーションを図るときに、

勿論彼らの中のイデアは同一ではないため、

お互いの解釈に若干なり、多大なり、誤差が生じる。

 これは、具体的な概念、例えば林檎という言葉を

用いているケースも抽象的な概念のケース程ではないにせよ、

確実に誤差は生じている。

 その誤差を放置しながら進行すると、蓄積されてゆき、

最終的にはお互いの解釈が完全に食い違ってしまう。

 コミュニケーションにおいて大切なのは、

その誤差を一つ一つ認識して、修正しつつ進行してゆくことだ。

 他人は自分の事をわかってくれないと思っているような人は、

まずその辺りを改善してみると、いいかもしれない。
 
この世界では、色々な物事がループしているように思える。

 わかりやすいところで言えば、流行、リバイバルブームというものだ。

そのうち、まったく新しい流行は発信されなくなり、過去の遺産を

使い回すようなことになるかもしれない。

 そうすれば、完全なループ状態になり、一つ前の流行は一番後ろに

回されることになり、また順番が回ってくれば、それが最先端の流行に

なる。

 そして主題は、

人の理念の変化もループ構造になっているのではないか?

ということである。

 人は普通の精神性で、普通に生きていれば、度々理念は変化する。

いくら難攻不落の理念であっても、まったく変化しないことは無い。

 その変化の道程が直線ではなく、ループしているような気がしてならな

い。

 正確にはスパイラルと言える。

何故、螺旋かというと、人は度々、以前持ち合わせていた理念に

立ち返る事がある。

 そこで以前とまったく同じ理念に戻ってしまうと、

ただのループになってしまうが、

人は理念の変化の螺旋を回り、様々な考え方に触れ、再び同じポイント

に帰ってきたときに、その経験をフィードバックすることができる。

 その繰り返しで、年輪のように円を描きながら、徐々に広く、

大きくなってゆく。その過程が、成長と呼ばれるものなのかもしれない。

人は一切、自分の利にならない行動をとることができるだろうか?

この答えを出すのは容易ではないが、恐らくNOだと思われる。

ボランティア団体の行動理念が、<困っている人を助けたい>だとする。

勿論、彼らに物質的な報酬は無いと思われる(あるのかもしれないが)。

しかし、彼等は困っている人を助けることによって、

<困っている人を助けたい>という、彼等の目的を達することができる。

ある種の欲求を満たすことができるとも、言えるかもしれない。

彼等にとって困っている人を見過ごすということが、

苦痛に近いものがあるとすれば、

同時に彼等は、困っている人を助けられないことによって生じる、

彼等にとって好ましくない状態も回避することができるはずである。

よって、彼等はボランティア活動によって、

充分に利を得ていると思われる。

しかしながら、別に彼等を偽善者呼ばわりしたいわけではない。

人が自ら決定した行動には、その人自身が望もうと、望むまいと、必ず

その人にとっての利が生じてしまうということだ。
最近はインターネットも普及した事もあり、情報過多の傾向にある。

無数にインプットされてくる情報を十分に処理できないまま、

アウトプットしてしまう人々が増え、誤報が増え、真実の輪郭をぼやかせている。

これはある種とても恐ろしいことであり、既に多くの人々がその傾向に陥っている。

しかもその事に対して、悲しいほどに無自覚である。

本来、インプットされてきた情報は自分の中で篩いにかけ、噛み砕き、消化して、

自分のものにしてから、アウトプットしなくてはならない。

そのプロセスを全て省略して情報が垂れ流し状態になっている。

これではその情報に一枚噛んだことに何の意味もない。

無意味に人というフィルターを通して、情報の鮮度を落としているだけだ。

ある大きな流れに流されている時は、非常に視界が狭くなる。

そしてその流れが速ければ速いほどに、多くのものを見過ごして通り過ぎてゆく。

仕事や勉強に勤しむのもいいが、ときには立ち止まって、

自分の足元を確認するといい。

もしかしたら、とんでもない所まで流されているかもしれない。

現代を生きる人々は、アウトサイドの世界にばかり囚われず、

自分の中の世界も発展させる事が必要なのかもしれない。

常に外と内は相互に作用しているのだから。
よく、言語機能があまり発達していないロックミュージシャン的な輩が、

「アイデンティティを持て!」などと謳っているが、

アイデンティティを持たない人間など一人もいない。

彼等は恐らく個性を持てと言いたかったのであろう。

悲しいかな、

確かに彼等のファンは個性を持たない者が多いように思える。

個性を持てと謡っている彼らと同じような格好をしてライブなり、

コンサートに現れる連中が、その典型だ。

だが、彼等のファンにもアイデンティティはある。

憧れの人に少しでも近づきたい、周りの人々と同じ容姿や意見を持ち

安堵感を得たいと思う、模倣願望と自己防衛の、アイデンティティが。

この視点から見れば、彼等のファンには個性は無くとも、

アイデンティティは存在するということが言える。

同時に彼等のアイデンティティは皆、

似て否なるもので同じ何かを持ち合わせてはいるが、

まったく同じ者は二人といない。

これは規模を大きくしても同じ事が言える。

当然ながらこの世界に、

まったく同じ
アイデンティティなど存在しない。

だが同時にオリジナルも存在しない。

どれにも共通しない、何処にも繋がっていない、


完全なスタンドアローンの
アイデンティティもまた存在しないのだ。

皆、それぞれ違うカードの組み合わせを持っている。

同じ組み合わせは存在しない。

だが、他の誰も持っていないカードのみで構成されている組み合わせも

また存在しない。

 

あまり深く突き詰めると、

パラドックスの螺旋に陥ってしまうので、この辺で。