カーロスとの死闘が終わり、ジョーはファイトマネーをもらうために白木洋子を訪ねた。

その小切手にかかれた金額は、契約した額を上回る大金であった。

「それだけとっておいてほしいの・・・・私の気持ちをして」洋子はつぶやく。

それに対してジョーは、昔からの洋子とのやりとりをだぶらせ「あわれみとほどこし」なんだなとつぶやく。それを否定する洋子の言葉を遮り、怒りをぶちまける

「ふざけんなあっ

なぜ、あんたと会うたびにまともに話し合い、まともにわかれることができねえんだ!

女のぶんざいで、こざかしく男の世界に入り込み、そっとしておきたいものをいじくりすぎるからだよ!わかるかいっええ?

けっ 金なんぞにかえられるかい。あの命ぎりぎり燃やし尽くした勝負がよっ

この虚脱状態のまんま、もし仮に引退したとしても力石やカーロスとの思い出は、おれの青春の遺産になってくれるぜ。

せねてお金でも・・と しゃらくせえ保険などをつけてもらわなくてもよ!

さあ、はじめの契約どおりの額面だけ書いてよこしな。わからねえのか、小切手を書き換えろといってるんだよっ」

 

金なんかにかえられないことがある。大事なことであればあるほど、金なんかで換算されたくない。金とは世の中の共通した価値基準。誰とでも共有できる尺度で、推し量られたら、その思い出自身が汚れる・・・

そういう気概がかつてあった。金は汚い物だと教えられてきた。それはやせ我慢だったのかもしれないが、真実でもあった。今、金を巡って、人々がいかに落ちていくかを見てみればわかるだろう。

メジャーリーグをはじめ、プロスポーツの年俸、契約金、FAによる動く金額などをみているとめまいがしそうだが、お金の尺度であえて評価するならそういうことになるのだろう。しかし、一般の人にはそんなことは夢のまた夢。それなら個人の価値は今の給料、年俸の額しかないのか・・・そんなはずはないだろう。

金は現実を生きるための道具にすぎず、それは人や物や体験を価値づける物ではないはずだ。

しかし、世に完全に浸透しているのは「金」中心の社会・・・その中で、生きていると錯覚してしまう。それに流されず、本当の価値を見失わずに生きていきたい。