1.私にできること
ある時 アマゾンの森が燃えていた
すべての動物たちは
大急ぎで逃げていった
特に大きな強い動物たちは
われ先にと逃げていった
しかし クリキンディ(金の鳥)と
呼ばれるハチドリだけは
くちばしに水滴を一滴とっては
燃えている森に行き
その森に水滴を落とす
そしてまた戻ってきては
水滴を持っていく
それを見て 大きな動物たちは
こう言ってクリキンディを笑った
「そんなことをして、いったい何になるんだ」
それに対して
クリキンディはこう言った
「私は、私にできることをしているの」
(南米エクアドルの先住民族に伝わるインカの伝説)
2.選択の時
私たちは時おり、大きな時代の波に飲み込まれ、嵐の中の小船のように、なす術も無く流されてしまいそうになることがあります。
その時、誰しもが陥りそうになるのが、「人のせいや環境のせい」にしてしまうことです。
「あの人が悪かったからこんなことになったんだ」「こんな環境では何もできない」・・・。いろんな言い訳がまるで、蛇口をひねるが如く次から次へと出てくるようになります。
しかし、その時こそ「幸福な人生」を選ぶのか、「不幸な人生」を選ぶのかの選択の時であるのです。
クリキンディのように、自らのできることに全力を傾けることができる者は幸いです。自らの人生の主人公となって、希望の未来を切り拓いていくことができるでしょう。
しかし、他の動物たちのように逃げる者は災いです。それは、自らの人生を他人や環境に委ねてしまうことになるからです。
3.泥中の蓮華の花
「『どのような環境下においても、自分なりの一輪の花を咲かせる』ということが、『人生は一冊の問題集である』という言葉に対する答えでもあるのです。」(『信仰のすすめ』p50)
この世は汚辱に満ちた難しい世界です。しかし、その中にあって、蓮華の花の如く、各人が自らの花を咲かせることを、仏は望んでおられます。
仏は、決して罰としてこの三次元世界を創られたのではなく、仏性をさらに輝かすための希望の地として、この世界を創られたのです。
さすれば、私たちはその仏の願いに応え、見事な花を咲かせようではありませんか。
その色は問わない、その大小は問わない、その形は問わない、自らが自らの努力で、最高の、個性ある、唯一の、花を咲かせることこそ、永遠の命をお与えになり、転生輪廻という永遠に向上できる世界をお与えになった仏への最高の御恩返しであると思うのです。
そしてその報恩の道は、私たちにとっての「ひとしずく」とは何かを考えることから始まるのではないでしょうか。
同胞の皆さん、共に個性ある花を咲かせるため頑張って参りましょう。(o^∇^o)ノ












