※ 前回11/24の記事はボリュームがあったので、分割しました。

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あなたが悟っていない限り、
婚外の関係性を持つことは良い。

だからあなたが悟る前に
できるだけ多くの関係性を持ちなさい。

なぜならいったんあなたが悟ると私にはどうしようもできない。

その時にはあなたは終わっている。
 
たまに新しい女性や新しい男性を少しかじると、古い女性や古い男性への興味がよみがえる。

あなたはこう考え始める。

「結局のところ、彼女はかなりいい。」
少しの変化はいつも良い。
 
私は、婚外の関係性を持つことに対して反対してはいない。

それに反対している人たちは、
じつのところ間接的に独占欲をあなたに教えている。

私が婚外の関係性を持つことに反対していないと言うとき、

私は非独占欲をあなたに教えている。

その要点を見なさい

―もし私が非独占欲について語るなら、

彼らは「それは霊的だ。それは宗教的だ。それは素晴らしい!」と思う。


しかし私が婚外の関係性を持つことについて語るなら、霊的で宗教的な人たちはただちに腹を立てる。
 
しかし私は同じことを言っている。
非独占欲について語ることは抽象的で、
婚外の関係性について語ることは現実的だ。

そしてあなたは抽象的に生きることはできない、現実的に生きなければならない。


そして婚外の関係性を持つことの何が悪い? 

もし男性が、同じ女性に飽きているなら、
同じ輪郭
同じ地理
同じ地形

— たまにはちょっと違った地理やちょっと違った景色……
するとまた家に戻って古い地図を探求する興味が湧く。


それは休息を与える、
コーヒータイムだ。

そしてコーヒータイムの度ごとにあなたは再び同じ仕事、同じファイルに従事することができる。

そしてあなたはファイルを開き働き始める……

コーヒータイムはあなたの助けになる。
 
私は不可能な理想に興味を持ってほしくない。

私はまったく理想主義者ではない。

私は地に根を下ろした実践主義者で、現実主義者だ。
 
人びとが深い親密さのなかで一緒に生きるのなら、互いを独占すべきではない。

互いに自由を許すべきだ。

それが、婚外の関係性だ — 自由



Osho


悟る=覚醒すると、
どうなるのだろうか。

「終わっている」らしい…

何が終わっているのか?


悟っている、覚醒したと言えば、
大層スピリチュアル的に
売りになりそうだが…

まだそれではないのだろう。