子どもが生まれた時、
最初の愛と最初の食べ物は同じではないだろうか?
つまり母親だ
それで食べ物と愛には深い関係があるのだ。
実のところ、食べ物が最初にやってきて、それから愛がついてくる。
まず子どもは母親を食べる、そうして彼はだんだんと、母親はただ食べ物というだけではなくて、自分を愛してくれてもいるのだ、ということに気づく。
もちろんそう気づくためには、
子どもはある程度成長していなくてはならない。
最初は、子どもは愛を理解することができない。
食べ物という言語なら理解できる、すべての動物にとって自然で原始的な言語だからだ。
子どもは飢餓とともに生まれてくる。
すぐに食べ物が必要だ。
愛が必要になるのはもっと後になってからだ。それはそんなに急を要することではない。
一生の間、愛なしで生きることもできるが、食べ物なしで生きられるだろうか?
それが問題を作り出す。
だから子どもは、食べ物と愛の関係に気づくようになる。
どこかであなたは愛のある人生を恋しがっていて、それで食べ過ぎるのではないだろうか。
あなたは食べ物で自分を満たし続け、内側に隙間を残さない。
だから愛は必要ではなくなる。
どこにも隙間が残っていないからだ。
それに食べ物なら事は簡単だ、食べ物は死んだものだからだ。
好きなだけ食べ続けることができるだろう?
食べ物はいやだとは言わない。
食べるのを止めても感情を害したなどとは言わない。
食べ物についてはあなたが主導権を握っていられるのだ。
けれども愛の中では、あなたはもう主導権を握ることはできない。