人びとはあの手この手で責任を回避しようとする。
口実、また口実、また口実
― たったひとつの洞察
「私は自分に責任がある。
だれも私の責任を取れない。
これは絶対に完全に私の責任だ。
私自身が私の今の状態をつくりだしたのだ」
という洞察を避けるための口実。
それがこの経文の意味だ。
すべての非難が一箇所に集まってくる
それはあなたへと集まってくる。
ひとたびこの洞察が定まったなら
「私は自分の人生に責任がある
― すべての苦しみ、すべての痛み
私に起こったこと
起こっていることのすべて
― それは私がそうなるように選択したのだ。
これは私がまいた種であり、
いまその結果を収穫している。
私に責任がある」
―ひとたびこの洞察が、
あなたのなかで自然な理解になったなら、
そのとき、他のすべてのことが簡単になる。
そのとき人生は新たな展開を見せはじめ、
新たな次元へと進みはじめる。
ー Osho
宇宙
また宇宙
そして、宇宙
責任の所在はすべて宇宙
責任逃れのための口実に「宇宙」はとても都合がよい。
ここであえて「宇宙」を使ってみるならば、
宇宙は何も理不尽なことを起こさない。
ということだろうか...
人に寄りかかり、依存して生きてきた人は
いつもどこかほかのところに
「責任」がある。
できているつもりでいることが
一人になってみると
まったくできていなかったのだと知り
愕然とする。
「まいた種がどのようなものであろうと
その結果を刈り取ることになる。」
ー それが宇宙の法則
■Eternal Soul's
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