舞台が終わりホッと一息なんてつく間もなく、ばあちゃんが亡くなった。

前々から調子はよくなかった。

ばあちゃんは母方で面倒はほとんど母の妹、僕からしたら叔母さんが見ていた。


僕が実家を出てからもう15年になる。

毎年必ず帰れるわけでもないので、
最近はなかなか会えていなかった。
だから聞いただけの話にはなってしまうけど、ばあちゃんは何年か前に病気をして以来、『息を吐く』ということができなくなっていたらしい。

そこで、機械を口に当て体内の二酸化炭素を吸引するらしいのだが、それがまたしんどいらしく、ばあちゃんはすぐに機械を外してしまう。

外すと機械は夜中だろうとなんだろうと警報を鳴り響かせる。

叔母さんはその都度、ばあちゃんのところに行き機械を戻す。
けどまたばあちゃんはそれを外し、警報がなる…。

叔母さんは夜中それを繰り返す。

しかもばあちゃんは叔母さんにこう言ったそうだ。

「どこか遊びに行きたいなら私が死んでからにしな。」

話を聞くだけでも身体の根幹を引っこ抜かれたみたくくたくたになる。

でも叔母さんはそれをずっとひたすらに頑張ってやってきた。

ばあちゃんの名誉のためにも付け加えるが、僕の知ってるばあちゃんは、決してそんな人じゃなかった。
いつも優しく、
「まさくん、まさくん。」
と僕を可愛がってくれ、芝居を始めてからは何かと応援してくれてた。

そんなばあちゃんがだ。


周りのみんなは口々に言う。

「おばあさんにはあれだけど、楽になってよかったね。」

と。

でも一番そう思ってもおかしくないはずの叔母さんは

棺のなかのばあちゃんの顔を優しくなでながら誰よりも目を真っ赤にさせて
泣いていた。


確かに晩年のばあちゃんは周りのみんなを怒らせ、疲弊させ、苦しめたのかもしれない。
でもばあちゃんの生きたほとんどの時間は母さんや叔母さんのために必死になって生き、僕ら孫のことを心から愛してくれた時間だった。

86年。

ばあちゃんの人生の時間。

この時間の中で母さんや叔母さんは
たくさんのばあちゃんを見て、
笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだり
いろいろなものを感じられたんだと思う。

ばあちゃんの時間は長い。

残りの数年だけでばあちゃんの時間は語れない。

みんはに笑顔をくれた時間の方が絶対に多かったのだから。

叔母さんの涙がそのことをちゃんとみんなに伝えていたんだと思う。